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続・山頂で死ぬ

●昨日の続き。

ルーマニアビールが飲める Barで36歳の男性と飲んでいた。メルマガ読者だという彼とはこの日が初対面。午後に行われた私のセミナーを受講してくれたのだ。

●彼は来年中国の成都で結婚し、現地で起業するという。そんな話を聞きながら Barの柱時計を見たら午前2時を回っていた。
そろそろ切り上げようかという時になって彼は、聞き捨てならぬことを言った。

「私もうかうかしていたらもう40歳です。人生の折り返し地点です」
「登山に例えるなら、下山の時期に入るので本来なら荷物を軽くしてゆかねば・・・」

●ここはきっちりたしなめておかねばと、今度は私が話し始めた。

「君はいつしかの『プロフェッショナル 仕事の流儀』を見ていないのかね?」

「基本的にテレビの番組は見ていません」

「じゃあ話してあげよう」

●ある日の『プロフェッショナル 仕事の流儀』。番組の詳しい情報は覚えていないが、訪問看護師の女性で「市ヶ谷のマザーテレサ」と呼ばれ、在宅看護にたずさわる人で知らない人はいないほどの存在の女性が登場した。

●末期のがん患者や老衰者、重い病などを抱えながらも退院して自宅で暮らしたいという人々を支えるのが彼女の仕事。訪問看護師のパイオニア的存在で、20年近くにわたって新宿区市ヶ谷で150名もの在宅療養の人々を回り続けてきた。

●彼女の顔を見ているだけで心が癒やされるような気がするが、彼女の気配りがすばらしい。
「桜のつぼみが膨らんできましたね」「今年はもう七草がゆをお食べになりましたか?」などと季節感を感じる話題を振る。
そうすることで、自分以外のことにも気持ちを向けてもらおうという配慮である。

●そんな彼女が看護に通ったなかに、一人の無口な男性がいた。
Mさんといい、今年46歳でがんの末期と告げられていた。医師によれば余命三ヶ月だという。彼女が通いはじめたときは、家族も含めて誰とも会話をしない状況だった。もともと無口な彼がさらに無口になり、深刻になっていた。しばらくして覚悟ができたのか、家族とはうち解けて話ができるようになったが、彼女とは口をきかなかった。

●なんとか重荷をはきださせ、楽にしてあげたいと彼女は考えた。だがなにを話しかけても、ひとことふたことの返事しかくれない。
とうとう二ヶ月が経った。Mさんはついにベッドから起き上がれなくなった。

●家族からMさんは山登りが趣味だったという話をきいて、意を決してこう語りかけてみた。

「Mさん、山を降りているんだから、そろそろ荷物を下ろしたらどうですか?」

すると、今まで何を話しかけても返事をくれなかったMさんがきっぱりとこう言った。

「まだ、山は降りていない。登っている」

●彼女はハッとした。Mさんはまだ諦めていない。強い気もちでがんと闘っている。

だが、その八日後、彼は亡くなった。
最後まで弱音をひとことも吐かず、がんと闘い抜いて人生を全うした。

●Mさんの心のなかで起きていたことを死の八日前になってようやく知った彼女。いや、Mさんの奥さんとても一緒だろう。

最後まであきらめずに頂上を目指す。それが自分の生き方であり、ピーク(山頂)で人生を終えるのだと。Mさんにとって下山はない。登るだけが人生だし、彼はついに山頂にいたったのだ。

●そんな話をした。

しばらく黙っていたが、若者は神妙な顔でこう言った。

「わかりました。僕の人生からも”下山”と”折り返し”という言葉はなくします。そして、山麓ではなく山頂で死ねるようがんばります!」

ちょうどルーマニアビールがなくなるころ、「チョルバ」が運ばれてきた。スープというより鍋料理に近いほど具が多いが、これだけ具だくさんの人生にしようと、もう一度乾杯した。