未分類

いつものBARで

●ある日のこと、仕事帰りにジントニックが飲みたくなった。一人で飲むのも悪くないが、せっかくなら誰かを誘おうと、マザーテレサと一休禅師と吉田松陰と織田信長とリンカーンを誘ってみた。幸いにも皆、あいていた。

●「次の飲み会では必ず私も誘ってね」と孔子に頼まれていたのを思い出し、彼にもメールしたが、今夜は講演が入っているようだ。それでも「遅れて合流する」と返事をくれた。

●「じゃ、いつものBARで!」

そのBARは駅のすぐ近くにある。私は仕事を片づけ、オフィスから歩いたので少々汗ばんでしまった。ジントニックは二杯目にして、まずはビールにしたい気分だ。

●BARには、すでに全員が揃っていた。

信長が「武沢、おそいぞ。主役のおぬしが来ないと始まらん。さ、なにか飲物をたのめ!」とせわしない。
彼らはすでにビールを何杯か飲み干したようで、マザーテレサにいたっては顔が真っ赤だ。

●「じゃ、僕もまずはベルギービールで。シメイがいいな。あと、フィッシュ&チップスも付けてください」

席につくと、さっそく議論が始まった。このメンツが揃うとくだらない世間話など出たためしがない。いつもいきなり議論なのだ。時には激論になり、口論になることもある。たしか、お正月明けにこのメンバーで飲んだときには(その時は曹操もいたが)、口論がうるさいと店から追い出され、近くの公園で議論の続きをやったものだ。

●今日は穏やかにやりたいと思うが、ふだんお酒を飲まないマザーテレサはアルコールに弱く早くもろれつがまわっていない。口火を切ったのは彼女だった。

「ふ~、武沢さんね、私はいろんな人たちを見てきてしみじみと思う。結局ね、人間というものは、強い人弱い人、お金がある人ない人、頭のいい人とそうでない人、いろいろいるけど、結局は優しくて慈悲深い人が一番ね。だって、そうでしょ、いつも愛に満ちて生きていけば、決してこの人間界、捨てたモノじゃないわよ~。ふ~、だから、愛を惜しみなく注ぎましょうよ、愛を。たっぷりと惜しみなくね」

「ええ、たしかに。そうありたいです」と私。

そこへ、「お待たせしました」とシメイビールが運ばれてきた。
改めて全員で乾杯!

●さきほどのテレサの意見を聞いた一休禅師がさっそく異論を唱えた。

「あのさ、ちょっと違うと思うのよ。たしかにテレサのいう慈悲深さは、我らが釈尊も説いているほど重要な徳目だよ。でも、それだけがすべてじゃないよ。人生山あり谷ありだから、何があってもしたたかに生きぬいていくための、”智慧”が必要だよ。智慧ある人でありたいものだよね。愛だけでは人生を乗りきれないんだよ。その点、智慧があれば、困難にも対処できるし、人間関係でも決して敵を作らない」

●「なに言ってるの、愛さえあれば、智慧がなくてもやってゆけるのよ。智慧があっても愛がなければ、決して他人の役には立たないわ」とテレサ。

「いや、愛だけでは人を救えません。具体的に生きるすべを提供できなくては。それが智慧なんですよ」と一休。

●いつもそうだが、私が仲裁役になる。
このときも、「なるほどなるほど、愛と智慧、両方あれば完ぺきですよね」と両者のメンツを保とうとした。

だが、「いや、愛と智慧だけでは完ぺきとはいえませんよ」と松陰。

だんだんと収拾がつなかくなりそうだ。

●「愛と智慧は必要ではありますが、それだけでは全然足りません。何より、忠義を守り、赤誠に生きることが一番大切なのですよ。私など、江戸幕府の取調官に我々の倒幕計画を洗いざらい申し述べ、それによって相手を動かそうとした。結局はそのおかげで断罪されるのですが、わずかばかりもそのことを後悔していません。それは潔い生き様として歴史が評価しますし。いえ、何より、天がそれをみているのですから」

●私は仲裁に入るのをあきらめ、フィッシュ&チップスをひたすら口に運んだ。ここまでくれば、もう成りゆきにまかせるしかない。

すると、今度は「笑止千万」と信長が口をひらいた。

「君たちはサラリーマンか!」という。店内に響きわたる大声だ。

私は少々気恥ずかしくなり、トイレに立った。

<明日につづく>