●華僑最大の資産家(個人で約2兆円)といわれる李嘉誠(リー・カシン、以下「李」)は今年82歳。香港最大の企業集団・長江実業グループの創設者である。
●李は14歳のとき、家族を養うために学校を辞めた。
はじめての仕事として選んだのは中国式茶店の給仕だった。香港のこの茶店はとても繁盛していて、事業で成功した人たちがよく集まる人気店だった。
李少年は、そこで給仕をしながら店に来る大人たちの会話に聞き耳を立て、成功への情熱やエネルギー、パッションといったものを毎日浴びたことだろう。
●やがて李は転職する。
金物屋の営業マンとしてブリキのバケツを売る仕事に転身したのだった。
セールスマンとしての才覚に目ざめはじめた李少年は、ホテルやレストラン、あるいは主婦層に的をしぼって営業し、あっという間にその会社のトップセールスマンになってしまう。
●そんなある日、営業先のホテルで別の会社の営業マンと鉢合わせした。相手はプラスチック製品を売っていた。こちらはブリキだ。
互いにしのぎを削って売り込みしたが、ホテル側はあっさりとプラスチック製品を選んだ。ブリキと違ってプラスチックは形も豊富で色もきれい。軽くて使いやすかった。
「かなうわけがない」、李はライバルの製品を手にしたとき、打ちのめされる思いがした。
「うちに来ないか?君ほどの営業マンが斜陽産業にとどまっているべきではない」とプラスチック会社の営業マンが李に声をかけた。
●李はそれに従うことにした。この転職が李に莫大な富をもたらすことになる。もし、このときプラスチック産業に移っていなかったら、今日の李の成功は違ったかたちになっていたかもしれない。
●プラスチック製品の営業に転身した李は、ますます本領を発揮する。
業界紙を毎日丹念に読みあさり、市場調査をした。懸命に勉強し、猛烈に働いた。
1年後、李はそこでもトップセールスマンになった。営業は7人だけの小さい会社だったが、2位に7倍の差をつけるトップとなり、18歳で営業部長になった。
●営業としてプラスチック製品の売上げを飛躍的に伸ばし、22歳で独立する。
プラスチック製品の製造販売を行う「長江プラスチック」という会社を設立したのだった。石鹸入れやクシなどを作ったが、飛ぶように売れた。米国や英国にも輸出し、工場は三交代で24時間操業にしても追いつかないほど売れた。
トップセールスマンの李にとって、売ることはお手の物だった。
●だが、マネジメントが追いついていなかった。
李は売ることばかり考えて、製品のクォリティに気を配らなかった。
やがて返品の山を築く。在庫の山を前にして、材料や経費の支払いができなくなった。経営危機に陥った李は、自殺しようと川辺に歩いていったこともある。
●そんなとき母が教えてくれた「誠」と「信」の教訓を思い出し、誠心誠意対処していった結果、数年を経ずして復活する。
当時、明治大学に留学中だった恋人・荘月明(後に結婚、故人)宛にも、会社が好調であることをうれしそうに手紙で知らせている。
●それからしばらく経ったある日、いつものように業界誌を読んでいたら、プラスチック製の造花がヨーロッパで大人気だと知る。
その造花を作っているのはイタリアの会社だと記事にあった。
●普通の人なら記事を読み終えて、「へぇ、そうなんだ」と業界紙をマガジンラックに放りこむだろう。だが、李は違った。
すぐにイタリア行きの切符を手配した。当時のことゆえ船旅だった。
香港の港から一週間以上かけてイタリアにたどりついた。観光地やグルメにはまったく目もくれず、李はそのプラスチック造花のメーカーを探そうとした。
●「造花ってどんな物だろう?」「どこで作っているのだろう?」「どうやって作るのだろう?」「作る機械はどこで売っているのだろう?」・・・分からないことだらけである。
だが、李は二日がかりでメーカーを探し出し、その会社の正門前までたどりついた。
<続く>
参考本:秘録華人財閥─日本を踏み台にした巨龍たち
→ http://e-comon.co.jp/pv.php?lid=2696