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続続続・華人財閥

●1950年代、ヨーロッパではプラスチックで出来た造花が大人気だった。それまでプラスチック製のクシや石鹸箱を作っていた「長江プラスチック」の李嘉誠(リー・カシン、当時20代)は、業界誌の情報を元にイタリアに渡航した。

「ウチも造花を作ろう」というわけだ。ようやくの思いで造花メーカーを見つけだし、正門前までやってきた。

●だが、正門でハタと考えた。
あまり深く考えずにここまで来たことに気づいたのだ。香港の無名のバイヤー相手に、どこまで造花のことを教えてくれるか疑問に思った。
正攻法ではうまくいかない。作戦を変えよう。

●その会社で社員募集をしていたのを知った李は、工場労働者として応募することにしたのだ。観光ビザしかなかったが、内密にしてもらった。
イタリア語ができないアジア人ということで半分の給料しかもらえない廃材清掃の仕事だったが、無事、採用された。
李にとって、清掃の仕事のほうが工場全体を見られてありがたかった。

●イタリアの造花を初めて見た李は、想像以上の美しさに驚いた。それは本物と見間違えるものだった。こんなにも美しい造花がプラスチックで作れるなんて、李の気持ちは高揚した。
毎日懸命に働き、その日に学んだことを忘れないうちに、夜ノートに記録した。

●やがて工場内で友人ができ、彼らと交流しはじめるようになった。
幸いなことに、中国語ができるアジア人が何人かいた。彼らを食事に誘ううちに、ついに肝心な部分の製造技師がそのグループに加わるようになった。
こうして、李はわずかな期間で造花製造の技術を学んだ(盗んだ)のだった。

●意気揚々と帰国し、香港で造花づくりにとりかかる李。

だが、現実は厳しかった。とてもウリモノになるような製品ができない。それは、技術の問題というよりはプラスチック成形機の問題だとわかったが、香港のどこをさがしてみてもそんな優れた成形機を扱っている会社はなかった。

●こんな時、頼りになるのが人脈と情報である。
その当時、東京銀行が香港に支店を作った。日本とのビジネスを希望する香港ビジネスマンにとって、東京銀行は格好のたまり場になっていたのだ。

●李はそこに通いつめた。やがて後の盟友になる人物とそこで出会う。

その盟友のおかげで高度な技術をもつ日本企業を紹介された。それは、日本真空技術(現・アルバック)という。アルバック社のおかげで、李は、ついにイタリア製に負けない造花を量産するのに成功したのだった。

●人件費が安い分、イタリア製よりも圧倒的に安い。約半額で販売することができた。それでもボロ儲けである。
ヨーロッパ各地からバイヤーがわれ先に李の会社に殺到した。彼らは買いまくった。やがて世界シェアの80%を李の会社をはじめとする香港企業で占めるまでになった。あっという間に今の価値で100億円企業に上りつめた李はこのとき、まだ30歳だった。

●戦争や紛争、不況や暴落といった混乱はつきものだが、「混乱の中に勝機あり」と李嘉誠。

「ホンコン・フラワー王」と称されるようになった若き李嘉誠は、最初のうち、工場の土地を借りていた。
大家は年々発展する李の足もとをみて、毎年賃料を値上げしてきた。
「高い賃料を言いなりになって支払うのはバカげている」と、郊外の安い土地を手に入れた。それは、李にとって最初の土地購入だった。
自衛のはずだった土地が、グイグイ値上がりしていくのをみて、不動産市場に新たなチャンスの予感を感じるようになっていった。

●「ホンコン・フラワー王」から「不動産王」になるのに時間はかからなかった。
中東戦争や石油ショック、あらゆる経済危機のたびに李は土地を取得し、富を膨らませていった。
1989年の天安門事件のときも外国企業がどんどん中国から撤退し、香港の土地も大暴落したが、李は黙々と買いつづけた。ついに富が富を生む循環に入り、李の資産は爆発的にふえた。

●実業と不動産で得た資金を元に、別の不動産や企業を買収していった。
いまでは、電力、通信、石油、不動産、小売、港湾、インフラ、ホテルなどあらゆる事業を展開する財閥を作り上げるにいたった。わずか一代で。そして李は今も現役経営者である。

●今でも愛人問題が勃発したり、四川大地震のときにはいち早く多額の寄付をしたりと、中国や香港で話題の絶えない李嘉誠。

香港には、こうした立志伝中の成功者が他にもたくさんいる。
だが私は、李嘉誠という人を賛美するためにこの稿を書いてきたのではない。

●私が華人財閥を紹介してきた主旨はこうだ。

「華僑」という言葉を見聞きするたびに私は、なにか特別な人たちの特別な思惑で構築された秘密結社のようなものをイメージしてきた。
だが、華人経営者の伝記を読むと、華僑の実体はもっと自然でオープンなものではなかろうかと思い始めている。

●それは、がんばって成功した実業家を中心に、互いに信頼できる人が自然につながっていったものではなかろうか。
信頼できるか出来ないかはその人の仕事ぶりや人間性で評価されるだけである。もちろん、コネがあれば華僑に加わるのは簡単だが、コネしかない人は華僑内に残れない。

●日本にも財界人脈や社長人脈がある。ただ日本のそれと大きく違う点は、華僑がおかれた経営環境の厳しさである。

中国や香港の過酷な歴史から翻弄されまいとするサバイバルの要素が彼らのネットにはある。
それこそ、生死にまつわるネットワークが「華僑」ではあるまいか。

●そして、平成の今日、日本の経営者がおかれたビジネス環境は、もはやサバイバルといえるものになった。
しかもそのサバイバルは、日本国内だけのビジネスではなく海外展開を余儀なくされるものになるだろう。だからこそ、日本に真の「和僑」のネットワークが必要なのだ。

李嘉誠のような、したたかな経営者が日本からアジアへ、そして世界へと飛び立っていってほしい。

私が「和僑会」を応援するのもそうした気持ちからである。そんなつもりで今週は華人財閥を紹介した。

負けるな!和僑
→ http://www.j-minds.com/news%20release/101125wakyo-okinawa/index.htm

参考本:秘録華人財閥─日本を踏み台にした巨龍たち(西原哲也 著)
→ http://e-comon.co.jp/pv.php?lid=2696