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蕩児と大丈夫のちがい

●夕食の宴も終わろうというとき、レストラン経営のA社長が「武沢さん、もう少しお時間がありますか?」と聞く。

時計をみたら午後9時をまわったところだったので、「軽くでしたら」とOKした。行き先は銀座だという。
しかも三本の指に入る高級クラブだそうだ。

●「へえ、そういうところは初めてです」とテンションが上がり、声が上ずった。A社長のなじみの店らしい。

タクシーの中で、「釈迦に説法のようだが」と銀座での流儀を教えてくれた。その要点はこうだ。

・銀座では一見客は入れない。紹介が必要で、しかも初回はかならず名刺が必要。
・スーツ(またはジャケット)、ネクタイ姿でないと入れない。
・指名制ではないので、「今日はあのホステス」という指名はできない。逆にいうと、一度担当についたホステスは永久担当になる。
・店内で著名人を見かけても話しかけたりサインをねだったりしない。
・当然ながら、上品に振る舞う。決して下ネタを連発するようなことはしない。
・黒服組の男性とも親しくなっておくと何かと過ごしやすい。
・たまに学生やアルバイトのホステスもいるが、大半は20代から40代の本職ホステスで、月300万円ぐらい稼いでいるホステスもいる。
そのあたり、六本木や新橋のキャバクラホステスとのプロ意思の差を感じてほしい。

というようなレクチャーを受け終わったころ、銀座8丁目に到着した。

●その店が入っているビルの前に、ドアボーイのごとく身なりのよい中年男性が立っていた。彼の案内でエレベータを上がり、フロア中央にあるドアをあける。

第一印象は、意外に狭いということ。
入るとすぐにレジを兼ねた受付がある。受付をすぎて店内に入ると右手がカウンター、左手がボックススペースになっていて、ボックス数も数えられる程だった。

●カウンターに着席すると、渋めのバーテンが笑顔で「ようこそ。今日も暑かったですね。何をお作りしましょうか」と出迎えてくれた。
A社長がキープしていたバーボンをいただいてソーダ割りにしてもらう。

●「有名人を見かけてもさわいだり、サインをねだったり、メルマガにそれを書いたりしないでください」とタクシー内でレクチャーされたにもかかわらず、ある有名力士が入店したときには、「あっ!」と声が出そうになった。

しかも、そちらの方が気になってしようがない。おまけに、こうしてメルマガに書いてしまっているのを見ると、まだ私は銀座の素人だ。

●二時間ほどそこにいたが、これが銀座の高級クラブというところなんだ、という空気を味わった。悪くない。いや、良いと思う。

働いているホステスの洋服・和服も髪型も靴もなにもかも妥協がない。
置いてあるお酒も一番安いボトルで3万円ほどだという。

●「今日は私が」と、A社長が支払ってくれた。代金は分からないが、たぶん二人で10万円ほどだそうだ。
ボトルが入れてあれば、カウンターでサクッと飲むだけなら片手(5万円)で充分足りるという。

●それにしても、そんなお金があればアレが買える、あそこへ行ける、と考えるようでは小者だろう。男子たる者、ときにそうしたお金がパーッと使えなければならない。そういう点で、銀座はエステ以上に男がみがかれる場である。

●帰りみち、『峠』(司馬遼太郎著、新潮文庫)の一節を思い出した。

主人公(河井継之助)の妻・おすがが、継之助にこう聞く場面がある。

・・・
(芸者あそびの)「どこが、面白いのでございましょう」

「金さ」

つまり、金をどぶに—-、あの無意味でばかげた遊びに叩き捨ててしまう、そういう感じがおもしろい、と継之助はいう。みるみる無一文になるというそういう痛烈さを味わいにゆくのだ、といった。その痛烈が刺戟剤(しげきざい)になって、その刺戟に沈湎(ちんめん)せずばいられないのが蕩児であり、その刺戟を腹中に入れて心胆を練るのが大丈夫たる者だ、と継之助はいうのである。
・・・

●パッーと金を使い、それを後からウジウジ後悔するのか、それとも遊びほうけて荒れた生活をはじめるか、はたまた、それで心胆を練るか、それが男の値打ちを分けるポイントだという。

●早めに裏を返しておこうと思い、一週間後、一人でその店に行った。

8時開店と同時に入店した。例によってカウンターに座り、バーボンのボトルを入れてソーダで割ってもらう。覚えたての手品をホステスに披露していたら、同伴組が8時半になって続々とやってきた。

この店にももちろん同伴のノルマがある。目標未達成が続くと、ホステスはクビになる。彼女たちの日当は3万円近くあり、さらに売上げの歩合や同伴の手当も入るので良いお客がたくさんつけば、収入はデカイ。その地位をキープするためには、彼女たちも女を磨かねばならない。その勝負が銀座にある。

●ホステスが化粧室に立ったので「景気はどうですか」とバーテンに聞いてみた。
混み合う店内の様子を見回しながら彼は、「この何ヶ月か、ずっとこんな調子です」という。

絶好調のようである。

継之助のような”大丈夫”がたくさんいるのだろう。惜しむらくは、私より年下の客が少ないようだった。