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僕にはもう欲しいものがない

「もう征服する国がなくなった」と泣いたアレクサンダー大王(アレクサンドロス3世)。遠征先で蜂に刺され、ある夜の宴席で倒れた。「最強の者が帝国を継承せよ」と遺言を残し、33歳の若さでこの世を去っている。彼がもう少し長生きしたら世界地図は別のものになっていたと言われている。

「もう征服する国がなくなった」と嘆いたアレクサンダーのように「もう欲しいものがなくなった」と田沼社長(49、仮名)は嘆いた。彼はすべてを手に入れてしまった。だがその代償として、多くを支払った。以下の物語はフィクションである。

20代で独立し、ある街に学習塾を開いた。中学・高校生を対象にした総合学習塾だった。だが、大手の学習塾や進学塾とバッティングし、モロに競合しては叶わないことを悟った。路線を変えて、メニューを「国語」だけに絞った。

田沼の持論である「成績の悪い子は一応に読解力が低い」ということからそう決めた。読解力が低いと教科書に書いてあることが分からない。自然に、授業に興味がなくなる。テストで出題されている問題の意味も分からないから回答も適当になる。そうして勉強が嫌になり、学校が嫌になっていく。その反対に教科書に書いてあることが理解でき、授業中の先生の話が理解できる子は自然に成績が伸びる。すべての始まりは「国語力」にあると「国語専門塾」にした。

塾の費用を払うのは親である。果たして国語塾に子どもを行かせる親がどれだけあるか最初は心配したが、生徒である子どもたちがクチコミの主役になってくれた。田沼流とでも呼ぶべき国語指導は泥くさいものである。たとえば、「源頼朝が鎌倉に幕府を開き、初の本格的な武家政治が始まった」という文章でも、分からない子にはちんぷんかんぷんだ。そこで、一行ごとに子どもに伝わるように解説する。源頼朝とはどういう人なのか、武家政治ってどういうものか、幕府とはどういうものか、その出来事が当時、どの程度すごいことだったのかが子どもに伝われば、一行の文章の意味合いが俄然興味深いものに変わる。そうすると子どもは国語好き、勉強好きになっていく。

文章が読めると、文章が書けるようになる。語彙が豊かになると、表現力が高まり、話し上手になる。相手の話を最後まで聞こうとする傾聴力も生まれる。授業中の先生の話に集中できる子にもなる。そしてすべての学科の成績が上がる。そうした田沼理論とメソッドが評判となり、親が子どもを引きつれて連日押しよせる塾になった。田沼はさばききれない注文をこなすラーメン屋の大将のように、身を粉にして働いた。若かったし教育の情熱もあった。文字通り全時間を生徒指導や親との対面に使った。

「受験テクニックだけで一流校を受かったとしても、そのあと燃え尽きてしまっては意味がありません。勉強好きな子になった子が進学を果たせば、燃え尽ききることは決してありません」そう訴える田沼に親も子どもも同志(先生仲間)もいっぱい集まった。

そうした超多忙な状態が何年もつづいた。塾の先生や事務スタッフは疲れ切っていた。田沼も飽きてきた。アレクサンダー大王が率いた戦士たちが厭戦気分になって士気が低下し、泣く泣くインド制服の野望を前に引き返したように。田沼は子どもを育てる力はあったが、社員をその気にさせ、社員を育てる力は持ちあわせていなかった。それどころか「平均以上の給料を払っているのだから、働いてくれて当然だろう」と思っていた。そのころ(約10年前)を述懐して田沼はこう語る。「あのころの僕は器の小さな人間でした。社長としての器量を持ちあわせていませんでした。月末に社員に支払う給料が腹立たしく感じていました。渋々多く払うくらいなら、少なくても感謝に満ちて払える社長であるべきでした」

すごい業績、すごい収入、すごい資産を手に入れていた田沼だが、いつしか先生方(社員である場合と外注である場合がある)の不満処理が仕事になっていた。自分が作った会社や組織が嫌になってしまった。徐々に現場を社員にまかせ、田沼は離れていった。会社にはあまり顔を出さない社長になった。

そのとき、先生業から経営者業を始めていれば、新しいチャレンジが始まったはずである。だが、田沼は単に逃げた。ひとりで旅をし、欲しいものを買い、食べたいものを食べ、飲みたいものを飲み、遊びたい遊びをした。

気づいたら人心がすっかり離れていた。会社が自分の会社ではないような居心地の悪いものになっていた。このままずっと逃げているという選択肢もあったが、もう一度社長業、経営者業に挑戦しようと決心した。「まことにお恥ずかしい限りです。個人的には欲しいものはもう何もありませんが、これからは本物の経営者になりたいと思います。そのためには会社としての夢や野望を持たねばならないと思います」。田沼はネットで調べ『がんばれ社長!今日のポイント』を読み始めた。そして武沢に会いに行った。

ひととおりの話を聞き終わって武沢はこう言った。「会社から逃げていた時間を悔やむ必要はありません。取りもどせばいいだけです。起業家から社長へ、そして真の経営者へといたるプロセスで必要な踊り場だったのです。それよりもまだ49歳、国語指導のマーケットは大きいし、チャンスは充ち満ちていますよ」

田沼は言った。
「今日教わったこの Wish-List と10年ビジョンシートをさっそく作って社員と共有します」

(この物語は架空のもので、実在の人物や団体とは関係がありません)