9/13(日)、大阪まで安藤忠雄講演を聞きにきた。『連戦連敗』や『仕事をつくる』など、何冊かの本を読んで氏の考え方や生き方に共感をおぼえていたので、ミュージカルでも観に行くような楽しみな気分で梅田にやってきた。この日は奇しくも安藤忠雄氏の74回目の誕生日であることを当日会場で知った。
ご本人はそのことをまったく意に介していないようで、講演前の著者サイン会で「おめでとうございます」と申しあげてもチラとこちらを一瞥しただけで愛想がない。「そんな話題、興味がない」と言いたげですらあった。
席に戻って開演を待っていると、ひとりの男性が私のところに来られた。「武沢信行先生でいらっしゃいますか」と礼儀正しい。しかも私の名をフルネームでご存知である。「そうですが・・・」と思わず立ち上がった。「実は私は武沢さんのメルマガを長年読んでおりまして、今日の講演会もメルマガで知りました。いつもメルマガが非常にためになっています」と言われた。名刺をお持ちでなく、ごていねいに講演の翌日にメールをいただいた。
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昨日の安藤忠雄先生の講演会で挨拶させていただいた大阪の K と申します。会社の同僚に紹介されてメールマガジンを読み始めて14年近くなると思います。私は経営者ではありませんが、仕事がら経営者と接する機会が多く、経営者の立場を知る有用な情報源だけでなく、武沢さまの家族のご様子や生き方についても学ぶことができ、感謝しております。今後とも、健康に留意して、ますますご発展されることを祈っております。P.S.昨日の講演で安藤忠雄先生が100歳を考えると50歳は若いと言われました。私52歳ですが、仕事以外にも自分が今後何ができるかを考えて前向きに歩みたいと励まされました。
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さて、昨日に続いて安藤忠雄講演で触発されたことを書いてみたい。
「人生100年時代を生きていくには独立自尊の生き方が必要になる。そのためには教養と野性を磨かねばならない。脳でいえば左脳と右脳である。とりわけ意識すべきは野性(右脳)の部分である」と安藤氏。そうすることで個性的な仕事をし、個性的な会社をつくれとエールを送った。そして安藤氏がいかに個性的な建物を作ってきたか、画像付きで建築事例を見せた。本では知っていた有名な建築例なのだが、建築家と施主との生々しく、かつ、ユーモラスなやりとりを聞いていると、ある意味漫談よりもおもしろい。何度大笑いしたことか。
私たちは先が見えない時代を生きている。こんな経験は戦国時代以降の日本人があまりしたことがない。「だからこそ勇気がいる」と安藤氏。日本の建築業界は世界でもトップクラスの技術力や工程管理力、コスト管理力がある。なのに海外に出ていって受注が取れない。それは勇気がないから。中国の建設業界には勇気がある。日本企業が「できない」、「うちではやったことがない」と断ってくる仕事を彼らはどんどん受注し、それをやり遂げていく。だから、本当に力を付けていく、と安藤氏。
たしかにそうだろう。中国各地にはすごい建築物がいっぱいある。すべてを中国企業が建てたとは限らないが、彼らの建築技術は日進月歩だろう。それは中国の建設業界だけにとどまらず、アジア全域の自動車、重電、家電、小売り、サービスなどあらゆる分野で野性的なチャレンジがくり広げられている。そのパワーを身をもって知っている安藤氏だからこそ「これから戦う相手はアジアですよ」という言葉に重みがズッシリある。日本人のライバルはもはや、教養(左脳)の西洋ではなく、野性(右脳)のアジアである。戦いにくい相手であることは間違いないが、昭和をつくってきた先輩企業人は当時、世界一野性的だった。
人類で誰も経験したことがない人生100年時代を生きぬくためには、偏差値や学歴、学力は頼りにならない。国や会社や家族に依存することもできない。独立自尊の生き方を一日も早く始めねばならない。こんなもの(胸から取りだしたスマホ)をいじる時間を半分にして、自分でものを考え判断する力を養ってほしい。僕(安藤氏)なんか、判断力と勇気と腕力しかもちあわせていない。それもで充分やっていける。あとは、100歳まで元気で生きるために身体を鍛えようと毎日1万歩、歩いている。