Rewrite:2014年3月20日(木)
周りから理解されないときなど落ち込みやすいが、そんな時、この言葉を覚えておこう。
「燕雀いずくんぞ広告の志を知らんや」(史記)
というもので、小者には大者の考えていることなど分かってたまるか、というような意味で使う。坂本龍馬は、こんな言葉も手紙に書いている。
「世の人は、我をなんともいわば言え、我がなす事は我のみぞ知る」
経営者も、周囲から理解されないことが多い。経営者の会合などに顔をだすと、ときどき「家庭をかえりみずに仕事に明け暮れて、家族から愛想つかされてます」と頭をかく経営者がおられる。「家庭すら守れずに会社を守れるのか!」というヤジが聞こえてきそうだ。
しかし、私はかならずしもこうしたヤジに賛成することは出来ないと思っている。目先の家族サービスを犠牲にして、従業員の幸せのためや、お客様の問題解決のために一身をささげておられる経営者も多数いる。それは、「より大きな愛」をもった経営者がなせるわざだ。
経営者の責任は何か、事業の目的は何か、については百人百様の回答があると思うが、長い目でみるとすべては決算書にその評価があらわれてくる。
昔、「男はだまってサッポロビール」という宣伝があったが、私は申し上げたい。
「社長はだまって決算書」。