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黒木の場合

●今年66才になる黒木弘男(仮名)は、50才の誕生日のときに長年勤めていた地方新聞社を辞めた。そして自宅の離れをオフィスにして、
経営コンサルタント事務所を開業した。

●新聞社時代には、ビジネスや経営に関する記事を書いてきたが、インターネット時代の到来で通販市場が伸びると思った。
通販専門のコンサルタントになれば仕事の引き合いは充分あるだろうと思い、ノウハウと人脈を貯めての開業だった。
その読みと決断は正しかった。

●もともと黒木は若いころから「人生を四回の名前で生きる」と決めてあった。
最初の人生は、親から付けられた本名(田代万三)で生きる50年間。
次は自分の好きなビジネスネームで20年間日本中を股にかけて暴れる。
三度目の名前は小説家としてのペンネーム・甲田正張(こうだまさはる)。ちなみに名字の「甲田」は奥様の旧姓。名前の「正張」は横溝正史と松本清張の名前を合成したもので、この名前も15年ほど使う予定だという。

●さらに計算通りにいけば、85才以降の第四の名前(未定)では、天からのごほうび時間と位置づけて、在家出家して人のために尽くすという。そのときには、空海とか最澄といった漢字二文字の名前になる予定だ。

●最近、そんな愉快な黒木と私は寿司をつまんだ。
乾杯して一時間、延々と通販の話ばかりするので気分を変えようと「バンクーバー五輪の日本勢の活躍はどうですか?」と水を向けてみた。

●するとあっさり「僕は分かりません」と言う。
興味がないのかと思いきや、スポーツは大好きだし日本勢の活躍も大いに気になっているらしい。だが、それらは毎朝新聞でチェックすれば充分に用が足りるという。
「僕はスポーツをライブ中継で観るような時間のむだはしたくない」とまで言った。

●時間のむだと言われてムキになった私は「僕など東京ドームやナゴヤドームのジャイアンツ戦には1シーズンで10回以上は行きますよ」と言うと、黒木は「それはあなたの自由だが、僕にはありえん行為ですな」と挑発されてしまった。

●仕事以外の話題では黒木と接点がないのかと思ったが、司馬遼太郎の小説やサスペンスものなどは大好きだという点が共通していた。

だが、そんな小説も仕事中は決して読まないという。新幹線や飛行機に乗っていても移動中に読むのは仕事関係の本や資料のみ。
仕事が終わって自宅やホテルで缶ビールの栓を抜いたときが私人・田代万三にもどる瞬間らしい。それからは好きな小説を存分に読む。

●「そうした戒律を守るのは辛くないのですか」と聞くと「全然!」と返ってきた。
黒木曰く、もともと起業したのが50才と人より遅く、才能も人並み程度なので人と同じ生き方をしていては勝てないと思ったらしい。

「だからルールを自分に課した。それを守ることは普通のことだと思うので辛いとか苦しいとか思ったことはない。蟻の一穴から城が崩れていくようなケースを新聞社時代からたくさん見てきてますしね」と黒木。

●その通りだと思う。
すべて黒木の真似をしようとは思わないが、自戒をもって生きることの大切さをこの夜、教えられた。