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続・富山旅行記

●昨日に続いて富山旅行記を書こうと思う。

だがその前に、富山の薬売りビジネスについてもう少しふれておきたい。
富山藩が薬で立国したのは、江戸時代の初期のこと。やがて富山の薬は日本全国をカバーする一大ブランドになるわけだが、それを支えたビジネスモデルは特有のもので、次の四つの特長がある。

1.先用後利(せんよう こうり)

今では置き薬や置き菓子など、利用した分だけをあとから支払う配置ビジネスが盛んである。それを可能にするのはスタッフのきめ細かい訪問。
だが、江戸時代は交通網が整備されておらず、スタッフがきめ細かく客先を訪問することはできなかった。
また、薬は今と違って大変高価なものであり、各家庭にあらゆる種類の薬を常備しておくことなど困難だったと言ってよい。
そこに登場した富山の薬売りは、「後払いでOK」と各家庭に薬を置いて回った。そこには、売る側と顧客との相互信頼が必要となる。

クレジットカードも与信管理システムもない時代に、富山の売薬人はこう考えた。

「信用できると判断した家庭には、一回だけの取引でなく、幾度となく訪問しよう。とりあえず利用頻度の高そうな薬を置かせていただく。その代わり、住所とお名前、それに家族構成などをお聞かせいただき、それを記録しておいて今後、定期訪問したい」

それが『先用後利』、つまり先に使っていただいて後から利益をいただくという思想である。

2.懸場帳(かけばちょう)

商人の交通といえばほとんど徒歩だけが頼りの江戸時代。頻繁な往復はできないため、一度の訪問でできるだけ無駄のない取引をしたいと考えた。
そのためには、客先の家族構成から取り引き履歴、使用薬の種類・使用量などのきめ細かい情報管理が必要になる。
それを記録するのが「懸場帳」(かけばちょう)という帳面。今日のCRM(顧客情報管理システム)を手作業でやっていたわけだ。

3.のれん

薬売りにとってこの「懸場帳」は、顧客との長年の取り引き履歴情報であり、ほかの何ものにもかえがたい財産だった。
当然、いつも肌身離さず持ち歩いた。もし何かの事情で商売をやめるとき、その「懸場帳」は高額で取引されるのだった。
懸場帳を売り買いするときの相場は、過去の売上金額から年間平均売上を算出し、配置されている薬代を加え、一年以上の不廻り(ふまわり:長期間得意先を訪問しない事)をさしひいて算出する。

その金額に、暖簾(のれん)価値が加わる。普通は2~3割程度だが、優良顧客を抱えていたり将来性のある商圏をもっている懸場帳には5割の暖簾代が付くこともあった。

4.付加価値

富山に限らず、当時の薬はすべて紙に包まれていた。その包装紙のデザインに趣向をこらし、薬の効能だけでなくデザイン力でも競いあった。商品名や包装紙には、いかにも効きそうなものや楽しそうなものが好まれた。
また、インターネットはもちろんテレビもラジオも新聞もない時代に全国ネットをもつ富山の売薬人の情報は大いに客先で喜ばれたはずだ。
さらに、彼が持ち歩くおみやげにも人気があった。
子供に人気の紙風船以外に、大人向けには売薬版画も好評だった。

こうした独自のシステムに支えられて富山の薬は一気に全国区ブランドに成長していったわけだ。

●今、こうしてふり返れば全部当たり前のことに思えるが、江戸時代の経済・商売・交通・金融の常識から考えれば、最先端を行くビジネスモデルだったに違いない。

●さて、次に行こう。

国登録の有形文化財「豪農の館・内山邸」に到着したのは土曜日の午後4時近かった。すでに閉館近い時刻だったが、館長直々のご案内ゆえ、私と小林さんは堂々と入館した。

●いやはや豪農の館のでかいこと。そして豪勢なことこの上ない。
この内山家は1500年代の前半、つまり戦国時代にこの地を新田開発して以来450年続く家柄。
戦後、マッカーサーによって農地解放されるまで、日本では長年の間、地主制度が発達していた。特に莫大な土地を所有する大地主(豪農)の収入は天文学的な金額にのぼり、その生活は栄華を極め、文人墨客や政治家、時には藩主のお殿様も訪れた。

●江戸時代末期に建てられた屋敷が公開されている内山邸は、特に壮大だ。土地3,759坪、建物440坪、駐車場41台という広さ。
表玄関から入り、大広間、表座敷、庭園、ぬれ縁、月見台、書院の間、それに茶室が幾つもあり、台所や女中部屋も広い。庭には蔵が三つある。

邸内には値が付けられないほどの美術品や民俗資料などの文化遺産が公開されていて、今もお茶やお花などの文化行事がここで行われている。

●タカヂアスターゼ、アドレナリンの発明で名高い高峰譲吉(富山県高岡市出身)の半生を描いた映画『SAKURA SAKURA サムライ化学者 高峰譲吉の生涯』(2010年3月公開予定)のロケでも、ここ内山邸が使われた。

●ありがちなことだが、長年富山に住んでおられるコバヤシ総合の小林さんもここに来るのは初めてだとか。
富山の歴史と文化を感じてみたい方は是非、昨日ご紹介した薬種商の館・金岡邸とここ内山邸とをあわせてご覧になることをおすすめしたい。

★豪農の館・内山邸
→ http://kenminkaikan.com/uchiyama/uchiyamaindex.htm

★映画「さくら.さくら」 → http://sakurasakura.jp/

●ホテルでひとっ風呂浴びたあと、富山見物の締めは寒ブリの夕食。

氷見漁港に水揚げされる富山湾の寒ブリは最高級で、この時期の刺身や煮付け、ぶりしゃぶは絶品中の絶品。
なかでも、人気のお店で食すこれらの料理はまた一段と素材が引き立つ食べ方をさせてくれる。
今回、小林さんにご案内いただいたのは、『甘酸鹹 富樫』さん。
「かんさんかん とがし」とよぶ。

●今年、寒ブリの水揚げは絶不調で例年の10分の1しかないと聞いて少々心配していたが、ちゃんと我々の寒ブリは確保してくださっていた。

個室でビールを味わっていると、まっ先にちまきが出てきた。
「え、いきなりちまき」と思いつつ中をみると、「桜ますのちまき寿司」だった。ひとくちほおばると、絶妙な甘みと酸味と塩加減に思わず唸ってしまう。
そのあと登場したお造りの皿には、ブリ、白えび、ヒラメ、まぐろ、などなど地の魚がならぶ。その後も、アワビ、ぶりしゃぶ、ずわいガニとどんどん出てきて、胃袋が二つあれば良いのにと思った。

富山に行かれたら是非「富樫」さんで大満足の夕食を。
→ http://www.togasi.jp/

●なにからなにまで充実していた一泊二日の富山の旅。

ご案内下さったコバヤシ総合の小林社長に紙上を借りて御礼申し上げたい。ありがとうございました。

次は夏の「おわら風の盆」あたりで再度、富山をアタックしてみたい。

余談ながら今朝の新聞で、富山の寒ブリが久々の大漁と報じられ、ひと安心している。
→ http://mytown.asahi.com/toyama/news.php?k_id=17000001002090001