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選抜と底上げ

「Jリーグに選手を送り込むことだけが目標ではない。むしろ選手には、それが最終目標でサッカーをやってるんじゃない、と教えています。」と語るは、サッカー指導歴20年のA氏。

千人に一人生まれるかどうかという確率でしかないJリーガー。確かに選び抜かれた中田、小野、稲本、中村、たちは、サッカー選手からみれば憧れの存在だろう。エリート中のエリートに違いない。だが憧れるのと、それを目標にすることとを混同してはならないようだ。

A氏は、「サッカーを通じて健全な身体や心、それにチームプレイというものを指導していきたい。サッカーを一生のスポーツとして愛し、人生の思い出場面にはいつもサッカーがあるような関わり方をしていってほしい。」と語る。

サッカー歴の長い欧米では、地域に根ざしたクラブチームとしてA氏の理想とするようなクラブが多いと聞く。日本ではむしろ少年野球や草野球の方がサッカーよりも精神において一日の長があるのかもしれない。

企業の人材育成においても同様の視点が求められるはずだ。それは、「選抜」と「育成」という二本柱の大切さだ。

「選抜」とは、ふるいにかけて優れたものを選び出すことだ。
「育成」とは、組織全体のレベルアップをはかることである。

この二つのうち、いずれが良いかという問題ではなく、両方が大切なのではないだろうか。

ベストセラー「七つの習慣」で著者のコヴィー氏は、

・依存

・自立

・相互依存

の順に人は成長すると説いた。

「依存」の段階、つまり未熟なうちは、他人のお世話にならなければ何もできない。周囲に追いつこう、一人前になろうとして一生懸命に努力する。

やがて経験を積んで一人前として「自立」する。そこで満足してしまっては単なる一人前だけで終わってしまう。さらに上を目指そう。それには、プロとして「自立」した者同士が相互に依存し合うことで従来とはまったく異質の次元での組織プレイを実現しようとする必要がある。

このようにして人も組織も成長する。

こうした成長段階を経てゆくには、人材の「育成」と「選抜」の双方が大切だ。

昨今の能力主義・実力主義の人事制度の中には、選抜の精神だけが重視され、育成の精神を見失っている企業が少なくないようだ。あり余るほどの人材力を持つ企業でない限り、選抜と育成のバランスを忘れてはならない。