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信頼のメカニズム その2

・・・人間同士の信頼関係は金銭で結ばれるものではない。また、理念でも夢でもビジョンでもない・・・と昨日述べた。それでは一体何だろうか?今日の内容は奥がとてもとても深いので、少なくとも3回はお読み願いたい。きっと3回とも異なる気づきがあるはずだ。私自身、うなり声をあげながら推敲を重ねている。

中国古典にある「広絶交論」については、かなり以前のマガジンで述べたことがある。
あらためてご紹介しよう。この古典は、周の時代を生きた劉峻という人の名論文だ。彼はだれかれなく絶交するという男で、その彼の思想を表した面白くかつむずかしい論文でもある。まず作者は、人と人の交わりを大きく二種類に大別している。

1.「素交」・・・裸の交わり、人間の生地のつき合いのこと。
2.「俗交」・・・利益を期待した交わりのこと。

そして2の「俗交」にも5種類あるという。

「勢交」・・・相手の勢い、勢力との交わり
「賄交」・・・儲かる相手とつき合う、あるいは金を出させる交わり
「談交」・・・マスコミなどとの交わりで、名声をあげ、自己宣伝に期待する交わり
「量交」・・・相手の景気次第であっちへ行ったりこっちへ着いたりする交わり
「窮交」・・・首が回らなくなり、あそこへ行けば助けてもらえるだろうという交わり

作者の劉峻は、これらの世俗の交わりとも言える「俗交」は、人間と人間、精神と精神がむすびつくのではなく手段的な交わりゆえに、すべて絶交すべき対象だという。

一方、裸の交わりの「素交」のほうは、お互いに名もなく金もなく、同病相憐れむ、同窮相憐れむだ。だから正味の交わりができるゆえに本当の交わりができるというのだ。

ビジネスというフィールドで出会う経営者と社員。最初の出会いそのものが、すでに「俗交」の色合いが濃い。ましてや資本主義の中にあっては、「素交」だけを賛美し「俗交」を拒否して、この著者のように次々に絶交していては友達が誰もいなくなってしまうかも知れない。

だが同時に、ビジネスだから「俗交」で良いんだ、とも言い切れない。むしろ経営者と社員との関係、顧客との関係も「素交」に近づける努力が必要なのではないか。

関ヶ原の合戦前に、大谷吉隆が盟友の石田三成に宛てた手紙が残っている。これも金銭と人間関係に関する友人への忠告として興味深い。要約すると、

・・・最近の君は、金を大切にしすぎで、人にも金さえ与えれば何とでもなると思っているようだ。家人(家族や部下)にもことごとくそうしているように見える。はなはだしく心得違いをしているようだ。主人が貧しい時には、おのずと礼儀を厚くし、人を尊ぶので、家人もそれに応えてくれる。やがて主人が豊かになり、給与をたくさん与え、気前もよくなる。すると、部下は、「これくらい働いているのだからそれ位もらって当然」と思うようになる。はじめは、その家に望みをいだいて来た者も、後には希望を見失い、貧しき主人が礼儀厚かったころよりも働いてくれなくなるものだ。・・・

という手紙だ。とても400年前の戦国武将の手紙とは思えないほど、現代に通用する忠告だ。

この手紙の「主人」を「経営者」と置きかえてもよい。経営者は、まず人間としてひとり一人の社員を尊重しなければならない。いや、尊重したくなるような社員を採用すべきだいうことになる。それこそが「素交」につながる第一歩ではないだろうか。

幼なじみや同級生が生涯の友になりやすいのは、純然たる「素交」だからだ。経営者が身につけたい人間的魅力とは、「素交」の出来る部下を何人作れるかである。これは年々むずかしくなる。その理由は明白。採用する社員との年齢ギャップが大きくなるからだ。同世代だけに「素交」が出来るだけでは不充分で、異世代に対してどの程度の「素交」が出来るかも大切な点だ。

さて、このお題のきっかけとなった昨日のM社長。社員に対して帰属意識を持たせるにはどうしたら良いかという。雇用形態の多様化によって社員の帰属意識が薄らぐのではと、懸念している。

社員にとって魅力的な待遇条件を提示すればするほど「俗交」を期待した集団になるのではないか。ひょっとしたら、将来の夢やビジョンといったものでつながる関係も「俗交」の一つなのではないか。

大切なことは、今のあなたの魅力である。「素交」をしたくなるような魅力をもっているかどうかが一番大切だ。良い待遇を実現してやりたい、という部下への熱い思いはやがて変質し、「これだけ払っているのだからこれくらいやれよ」という思いになっていることがある。肝心のあなた自身が、知らず知らずのうちに周囲に対して「俗交」を要求していることもあるので注意を要する。

主人たるもの、家人への接し方における原点を忘れてはならない。