●157年前、提督・ペリーが率いる黒船艦隊が日本にやってきた。それを境に日本中が蜂の巣をつついたような大騒ぎになる。
「外人などやっつけろ」という強気な意見や、これを機会に幕府を倒そうとする革命思想家もたくさんあらわれた。単なる野次馬も全国各地から集まってきて、江戸はちょっとしたパニックになる。
そんな中でひとり異質な青年がいた。彼は長州藩に属し、兵学を学び、国防を考えるのが仕事だった。
●青年はこう考えた。
「あの沖合いに浮かんでいる黒船に乗り込むことができれば、アメリカへ行くことができる。それは”鎖国”という国法を犯すことであり、失敗すれば打ち首か重罪になることは分かりきっている。だが、かの国の実情を知り、欧米列強の強さの理由を学ぶことは国防上極めて重要なことである。やるなら今、この時、この私をおいてほかにない」
●考えただけでなく、彼はその構想を仲間や弟子たちに語った。多くの仲間は “素晴らしいアイデアだ”、と口々にほめ、感動してくれた。
勇気百倍を得てついにそれを実行する。彼の名は、吉田松陰。
●船を操った経験が乏しく、苦労に苦労を重ねてようやく沖合いのペリーがいる船に乗り込むが、結局、交渉は決裂してしまう。
アメリカへ連れていくことを断られ、陸にもどされた松陰。陸地は幸い寒村だったので目撃者はいない。逃げる時間も充分あったが、誠をつくす松陰の生き様は卑怯なまねを許さない。結局、自首して幕府に捕らえられてしまった。
●伝馬町(今の日本橋)の獄につながれるため、駕籠(かご)で護送される松陰。高輪の泉岳寺にさしかかったとき歌をよんだ。
泉岳寺といえば、浅野内匠頭と赤穂浪士が葬られていることで有名である。
「かくすれば かくなるものと 知りながら やむにやまれぬ 大和魂」
●こうすればこうなる、ということは分かっている。だが、それでもやらねばならぬときがある。それが大和魂というものだ、と赤穂義士を讃えながらも、それは自らをなぐさめ、鼓舞する句でもあった。
●「やむにやまれぬ・・」といえば、今朝、長女がアメリカに旅立って行った。5週間日本にいた。久しぶりに家族や友人に囲まれて、目一杯日本の生活を満喫したようだ。
二年半前に、「自分が思っていたところと違う」と大学に退学届けを出し、家族に内緒で渡米した。シアトルでの生活は夢のようだったらしく最初の半年間は見るもの聞くものが新鮮でワクワクしたという。
●やがてアメリカでの生活にもいろんな現実があることを知る。たぶん幻滅することもたくさんあったに違いない。
「日本とアメリカとどっちが生活しやすい」と聞くと、即答で「日本」と返ってきた。「じゃあ、日本の生活よりアメリカの生活の方が上だと思うことは何?」と重ねて聞くと、「う~ん、レストランで食べ残した物はパックして持ち帰れるのと、買い物して気に入らなければ返品させてくれるお店が多いところ」と長女。二年半向こうにいたとはいえ、まだまだ学生旅行者の感覚が色濃い返答だった。
●日本での最後の夜となった昨日、「今回日本で感じたことは何」と聞くと、意外な答えが返ってきた。
「アメリカに行ってみるまでは、日本にいる家族も友だちも学校もみんな生ぬるく感じて、アメリカへ行けばもっとワクワクできると思っていたけど、今回、家族や友だちと接してみて、私の方が生ぬるく生きてるかもしれないと思った。みんな頑張ってるんだな、私も頑張らなきゃと、焦るような気持ちになった」と言う。
だから来春からシアトルの大学へ通うそうで、その学費を払ってほしいとスネをかじられた。
●「将来、日本で生活する気はないの?」と聞くと「ずっと先のことは分からないけど、アメリカで大学を卒業するまでは旅行以外で日本に帰ってくることはない」という。
●「空港まで見送りに来てもらうとウルウルしそうなので、玄関でOK」という長女。だがあまりに荷物が重いので、私だけタクシーで名古屋駅まで送ることにした。
今朝、玄関先で弟と母が「じゃ、元気でやるんだよ」と見送った。
「うん分かった」とタクシーの中から手を振る長女。私が、「運転手さん、じゃあ名古屋駅までお願いします」と告げた。
そして、何げなく隣の長女をみると、もう誰も見えないはずの窓ガラスの向こうをずっと向いたままだ。事情を察した私は名古屋駅までの10分間、だまっていた。
●駅に着いて荷物を降ろし、改札口まで送ろうとしたら「お父さん、もうここで」とさえぎる。その顔はいつもの長女の顔にもどっていた。
「ここでいいのか?わかった。じゃあ元気で!」
「うん。じゃあ!」と改札口に向かっていった。
●「メールするんだよ」と背中に声をかけた。振り向かずに手をあげた。
「またこれでさみしくなるな」と、しばらく私はその場で立ちつくしていたが、やがてもう一度タクシーに乗ろうと乗車場の方へ歩いて行きかけたら、駅ビルのかげで長女がひとり立ち止まって泣いていた。
私は「がんばれ!」と祈った。
●「好きな人と好きな国で生活したい」という一心で日本を飛び出した二年半前は、海の向こうにある夢の生活しか見ていなかったが、今朝の渡米はあきらかに違う。
行きたいから行くというよりも、行かねばならないから行く、と言えるかもしれない。それが大人になっていくということだ。
「かくすれば かくなるものと 知りながら やむにやまれぬ 大和魂」
そうしたテーマをアメリカで見つけてきてほしい。そして今度日本で寿司屋に行くときは、そんな話をしてみたいと思う。