●この夏、なにかと芸能界の話題が賑々しかったが、そんな陰にかくれて大原麗子、山城新伍と好きだった俳優が立て続けに亡くなった。
一世を風靡したお二人が最後はひっそりと人目を避けるようにして去っていったところが共通している。
●親族に手を握られることもなく、友人やファンに励まされることもなく人生の終焉を迎えた往年のスター。
ワイドショーなどでは「さみしい最期」とか「悲しい晩年」などとも報じている。
●たしかに美空ひばりや石原裕次郎などの大スターは、闘病生活もメディアに公開するなど、多くの人に見送られながら世を去っていった。
そんな大スターを表街道のスターとするならば、大原や山城は裏街道のスターと言えなくもない。
晩年はあえてメディアとの接触を断ち、友人の面会までも拒否し、親族の世話にもならずに静かにその日をむかえる最晩年。
「さみしい」か「悲しい」かは別にしても、それを受け入れて生きるのも潔い人生だと思う。
●それは人生観や死生観に関する問題なので第三者が論評できないのかもしれないが、お盆という時期にはお祭りや終戦記念日、甲子園なども重なるせいか、「命」を考えることが多くなる。
●8月11日に私は高知のよさこい祭りを見物し、翌日には大歩危(おおぼけ)・小歩危(こぼけ)を抜けて讃岐(さぬき)へ出た。この同じルートを坂本竜馬もかつて歩いて通っている。
●「この世に生を得るは事を為すにあり」と竜馬は考えた。
この命はなにか事を為すためにあるのだという教育を当時の若者たちは受けていたのだ。
竜馬はそれを実際に行動すべく、土佐藩を脱藩した。当然、封建時代にあって脱藩は重罪だ。藩としても真剣になって脱藩者を探しだし、処刑しなければ秩序が保たれない。
そんな追っ手を振り切るようにして大歩危・小歩危の大渓谷を命からがら通り抜け、ついに江戸へ出た竜馬。その後、竜馬は日本を変える仕事をする。
●あれから150年経った。
竜馬が生きた江戸時代は終わって、明治、大正、昭和、平成と変遷するうち、若者の考え方も大きく変わってきた。
「事を為すための人生」という考えから、命そのものを大切にする考え方になった。
それは、平和が維持されていることの証だから、ある意味では大きな進歩といえる。同時に、別の意味では不幸になったようにも思う。
命を賭けるほどの大切な何かを見失い、いたずらに長寿の人生を送ることを余儀なくされるようになったからだ。
●時には命と健康の危険を犯してまで守るべき何かがあるということをすっかり忘れてしまった私たち。本能的にリスクを冒すよりも賢くリスクヘッジする生き方を身につけるようになった。それは表面だけが男の「宦官」と変わるところがない。
●その結果、世界に冠たる長寿国家を実現したが、国際競争力は大きく後退し、一人あたりGDPは世界19位にまで転落した。
個人の人生だから生き方も個人の自由とはいえ、そんな生き方を企業運営にまで持ち込むのは間違いである。
企業には長寿そのものに価値がないのだ。個人の人生とちがって法人の価値はいまでも「事を為すためにある」ということを自覚していたいものである。