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仕事がしたい

●今日は月曜日。
「ブルー・マンデー」というのはカクテルの名前だけでなく、月曜日に出社したくない気持ちのことを言うのだが、あなたの今朝の気分はどうだっただろうか?

●・・・「もう一度思い切り仕事がしてみたい」
亡くなる直前、病床で井植(三洋電機社長)は弟に向かってつぶやいた。でも井植には女性に喜ばれる仕事が出来たという充実感があった。
・・・
これは、NHK「プロジェクトχ 家電元年・最強営業マン立つ」のラストシーンである。

●仕事は人生の一側面に過ぎないかもしれないが、仕事での夢ややり甲斐なくして人生の充実はない。
最晩年になってもう一度思い切り仕事がしたいと思える人生って、何てすばらしいことだろう。

●『坂の上の雲』(司馬遼太郎)を読むと、正岡子規もその充実した人生の一人だったことがわかる。

「柿食へば 鐘が鳴るなり 法隆寺」

で有名な正岡子規は俳人・歌人であり、松尾芭蕉以後の俳句の世界に革命をおこした。
彼は若くして吐血し、肺結核に冒されていることを知る。
「子規」とは、ホトトギスの異称であり、血を吐くまで鳴くと言われるホトトギスに自分自身をなぞらえたものである。

●友人の秋山真之や夏目漱石がそれぞれの分野で活躍していくなかで、太政大臣を夢みていた自分はふとんの上で勝負するしかなくなった。
南向きに面した庭と、机の上の地球儀だけが外界との接点だった。

●そんな子規が熱中した人物の一人が平賀元義(ひらが もとよし)である。
平賀は江戸時代の兵学・神道・史学などの学者であり、乞食同然の貧しい生活を送っていた。ようやく岡山藩主に召されることが決まった直後、路上でゆきだおれになって死んだ。
余技として万葉調の歌を作ったが、生前はまったく無名だった。

●平賀が世を去って20年ほど経ってから、同郷の岡山県人・羽生永明によって初めて平賀の歌が世に紹介され、その歌を読んだ正岡子規は、平賀に夢中になった。

そして子規が編さんする雑誌「ホトトギス」などで平賀を絶賛した。
いわく、「萬葉以後一千年の久しき間に萬葉の眞價を認めて萬葉を模倣し萬葉調の歌を世に殘したる者實に備前の歌人平賀元義一人のみ」

●そんな子規は、けなすものはしっかりけなす。
万葉いらい実朝いらい、和歌は不振であり、紀貫之は下手な歌よみにて、古今集はくだらぬ集であり候、という。

古今和歌集はくだらない歌ばかりだというのだ。

わずかな例外をのぞいて、和歌はほとんどくだらぬと言いきった子規には、当時の歌人文人から抗議が殺到した。だが、いちいち実例をあげつつ自分の論拠を語り、相手の反論の息の根を止めていった子規に、周囲はハラハラしたという。

●そんな子規が絶賛したのが平賀である。その値打ちは高い。実朝いらい数人しかいない歌よみの一人、とまでもちあげた。

平賀が残した歌をひとつでも多く集めたいのはやまやまだが、自分は病床の身ゆえ、一歩も動けない。
友人に頼んで岡山へ立ち寄ったおりには、平賀の歌を集めてきてほしいと頼んでおくしか方法がない。

●そんなある日、友人からの手紙に平賀の歌がいくつか入っていた。

それをみて子規は自分を歌に詠んだ。

「血をはきし病の床のつれづれに 元義の歌よめばうれしも」

結局、34才で夭逝した子規を司馬流に解釈すれば、「子規のこういう姿をみると、人間というこの痛々しいいきものは、どうやら仕事をするために生きているものらしい」となる。

●「もう一度思い切り仕事がしてみたい」と言った三洋電気の井植の言葉とも重なってくる。

「もういちどあの頃の仕事をしてみたい」と思える仕事を今しているかどうかが私たちの勝負どころなのかもしれない。

参考:NHK「プロジェクトχ 家電元年・最強営業マン立つ」
http://ganbare.pk.shopserve.jp/SHOP/NHK-projectX5008.html