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魂(こん)と才(さい)

●「和魂洋才」(わこん ようさい)という言葉がある。日本古来の精神文化を大切に守りつつも、西洋の技術や知識を積極的にとりいれ、両者の特色を活かしていこうとする考え方である。

●事実、わが国は「和魂洋才」のおかげで明治の開国以後、急速に西洋化した。大胆に「洋才」を取り入れることに成功したわけである。
しかし、新しいものを取り入れることに熱心で、「和魂」の部分を大切にすることをどこかに置き忘れてきた感がある。

五木寛之氏などは講演で、「和魂洋才」ならぬ「無魂洋才」と批判している。

●ではいったい「和魂」とは何を指すのだろうか。

「武士道」のことだろうか、それとも「儒教」や「朱子学」など中国伝来の思想のことだろうか。それとも神道の神を指すのであろうか。

●平安時代に活躍した菅原道真は、当時すでに「和魂漢才」ということを言っている。
「和魂」を大切にしながらも漢の国(今の中国)の優れた学問や技術を取り入れるべきだと論じているのだ。
ということは、平安時代にはすでに「和魂」があったということだから、「和魂」とは「武士道」でないことは明かだろう。

●菅原道真が使っていた「和魂」とは、神道における神の霊魂「和魂(にきたま)」のことではないかと私は思う。

ウィキペディアを要約すると「和魂」とはこういうものだ。

・・・和魂(にきたま)と荒魂(あらたま)は、神道における概念で、神の霊魂が持つ2つの側面のことである。

「荒魂」は神の荒々しい側面、荒ぶる魂である。天変地異を引き起こし、病を流行らせ、人の心を荒廃させて争いへ駆り立てる神の働きである。神の祟りは「荒魂」の表れである。

それに対し「和魂」は、雨や日光の恵みなど、神の優しく平和的な側面である。神の加護は「和魂」の表れである。

「荒魂」と「和魂」は、同一の神であっても別の神に見えるほどの強い個性の表れであり、実際、別の神名が与えられたり、皇大神宮の正宮と荒祭宮といったように、別に祀られていたりすることもある。

人々は神の怒りを鎮め、「荒魂」を「和魂」に変えるために、神に供物を捧げ、儀式や祭を行ってきた。この神の御魂の極端な二面性が、神道の信仰の源となっている。
・・・

●菅原道真が言う「和魂」とは、神の「にきたま」のご加護に感謝するへりくだった精神のことを指していた可能性がある。
もちろん当時はすでに「儒教」が入って300年ほど経過しているので、孔子の教えを指していた可能性もある。

●道真公から一世紀以上たって渋沢栄一は、日本型資本主義を広めるにあたり、「士魂商才」を提唱した。
それは、さむらいの精神を持ちつつ、商人の才覚で利益を上げることの大切さである。

道徳と経済は合一すべきであり、その両方を『論語』から学ぶべきであると説いた。

●国家がめざした「和魂洋才」、経営者がめざす「士魂商才」、この二つはセットで覚えておこう。

くれぐれも「無魂洋才」、「無魂商才」にだけは成り下がらぬように。