●数年前、「書くことで人の役に立ちたい」と強く自覚した。その時から、私は自分の話し下手をコンプレックスに思わなくなった。
なぜなら人前で話すことは私の専門ではなく、余技だと思えるようになったから。それ以後、開き直ったのか、前ほどひどく緊張しなくなった。
●自主開催のセミナーや講演などを含めて年間数十回ほど人前でお話ししているが、「武沢さんの講演は中味は濃いが楽しくない」と思われようと努力している。
中味は濃くありたい。
だが笑いや涙があるかと言えばそうでもない。まったくそれがない時だって少なくない。それでも別に構わないと思う。
●あなたが聞き手の場合、話し手に何を期待するか。
その反対に、あなたが話し手の場合は、何を人に提供するか。
そのあたりのことをきっちり理解しておかないと本末転倒の話をしてしまう可能性がある。
●私が人前で話す場合は、人生や経営をマネジメントするために役立つ実務的な方法をお伝えるすることが本職だと自覚している。
「笑いがあって楽しい講演」とか「感動に涙する講演」というのもいつかやってみたいが、それよりも私は「ためになる講演」をする方に関心があるのだ。
●優れた経営者になると、ご自分の本職をつよく自覚していて、基本的に講演はやらないと決めている人が多い。
なかには、断れずにお受けするときも、意識的に楽しくない講演をしている人もいる。その代表格が稲盛和夫(京セラ創業者)さんだろう。
そんなことを書くと稲盛さんの話がつまらないという誤解を与えるかもしれないが、そうではない。
氏のお話は大変中味が濃く、充実していて何度聞いてもためになる。
それに圧倒的な実績がバックにあるから、人に文句を言わせない迫力もある。
●だが、氏の講演に「楽しさ」とか「盛り上がり」を期待して行くと裏切られるかもしれない。
稲盛さんの講演について、知人からこんなエピソードを聞いたことがある。
氏は、頼まれた講演の何日も前から入念に原稿を作る。「盛和塾」を始め、稲盛さんはホンモノの経営者を作ることに大変ご熱心な経営者だ。毎年、全国各地に稲盛さんの話を聞こうとたくさんの人があつまる。
そんな稲盛さんに向かってある人が、「お話になることがたくさんありますから、いまさら事前準備などはご不要でしょう?」と聞くと、稲盛さんは憤然としてこう返答した。
「私は経営者であって話し家ではありません。主催者の方や参集者に失礼があってはならないので、話す予定のことを全部原稿にし、当日はそれを皆さんの前で読むのです。その場の気分や空気で話すことを変えるなどしては、失礼にあたると思うのです」
●それが稲盛流だという。
だから、たんたんと観念的な話をするときなど、聴衆は眠ることもある。それでも委細構わず準備したことをやり遂げていくのが稲盛流。
主催者には主催者の企画意図があり、参集者には参集者の参加目的がある。期待されているのは中味であり、楽しさや笑いではない。
●ウケようとか、つかみを工夫しようなどと思わなくてよい。むしろ、下手くそにやろう。あまりの下手くそさで、人を圧倒してやろう。
そのかわり、中味の濃さで人のドギモを抜くのだ。最近、話が巧みな人が増えているので、あなたはあえてその逆を行こう。
そういえば今月、ある街の青年会議所で講演することになっているが、「楽しくない」、「でも中味が濃い」という意味で、参加者のドギモを抜いてやろうと思っている。