●只管打坐(しかんたざ)・・ただひたすら座りなさいと、説いたのは道元禅師。
座っているときには何も考えない。「無になろう」とか「悟りを得よう」などとも思わない。何も思わず、ひたすら座って心身を脱落しなさい、と教えた。
●そんな道元禅師は、若いころ宋の国(中国)で名高い僧侶の元を転々として修行を重ねた。
だが、やがて失望した。本物の指導者がいなかった。
やがて寧波にある天童山で本物の禅師と出合う。喜び勇んで永年の疑問をぶつけてみた。
「我はいかなる修行をすべきか」
高僧の答えは意外なものだった。
「いかなる修行も必要ない。ただ在るがいい。沈黙し、静かになればその実在でお前はブッダなのだ。お前は、自己の内側以外のところをさがしているから逃がしているのだ。師から師へと変えることでは決して仏性は見つからない。内側へ入るがいい」
天童山には坐禅を中心とした本物の修行があった。
●後になって道元は次のように語っている。
「私は昼も夜も坐禅をした。酷暑極寒のおりには病気になってしまう、と多くの僧が坐禅をやめた。しかし私は “病気でもないのに修行をしなかったら中国まできた意味がない。病気で死んでも本望だ” と坐りつづけた」(『正法眼蔵随聞記』)
くる日もくる日も坐禅に打ち込んだ道元。やがて、大悟する。
●中国での修行を終えて帰国し、道元は只管打坐(しかんたざ)を説きはじめた。だが、邪教扱いされた。
当時主流の宗派の僧兵たちに何度も殺されかけたり寺を焼かれたりもした。
ようやくたどり着いた越前の山奥で道元は修行寺を建立した。
それが今日の「永平寺」である。
●私は昨夜、道元の生涯を描いた『禅(ZEN)』(角川映画)を観てきたが、感じるものが多かった。
座禅や道元に興味がある方には是非おすすめしたい。ただし、娯楽作品ではないのでワクワクドキドキするような場面はほとんどないことをお断りしておく。
現に、前の席の中年男性はエンドロールの最中に「むずかしかったね」と奥様らしき人に言っていた。
★『禅(ZEN)』 http://www.kadokawa-pictures.co.jp/official/zen/
●すべてのものをあるがまま受け入れる。それを快とか不快とか思わない。今この瞬間、そのものを受け止め続けることである。
昨日、ある女性経営者から面白いメールが届いた。
・・・ごぶさたしています、愛知県のSです。
なんと武沢先生と、先生の講座の受講生仲間たちが今日の夢に登場されました。
講座がおわった後、「せっかくだから」と全員で記念撮影をすることになったのですが、私だけババシャツ1枚のような格好で、余りにも恥ずかしく逃げ出したところ、どなたかが、「戻っておいでー」と呼んでくださっていた、という夢でした。
実は、私は年末年始にかけて二泊三日のひとり旅をしてきました。
昨年、武沢先生から教わった多くのことをもとに、会社の経営計画を作って、燃えていたのです。
ところが新年早々、現実の厳しさに気分がくじけ始めていたところ、またメルマガで「戻っておいでー」と引き止めてくださった気分だったのです。
多分わたしの作った目標は、完璧を求めすぎていて遊びの部分がなく、だからちょっとでもそういかないと「自爆」するものだったのだと思っております。
(後略)
・・・
●Sさんが言う「自爆」とは、きっと自暴自棄か自信喪失状態になることだと思うが、思い通りにならないから「自爆」するというのでは経営者として修行が足りない。
まず、ありのままを受け入れよう。
そして、その状態を変えていきたければ、こちらの思いを変えねばならない。
こちらに雑念や私欲が多いと、その思いは叶わない。
●Sさんもたまには座ってみてはいかが。
★永平寺(公式サイトではないが)↓
http://www.mitene.or.jp/~katumin/
★私のおすすめはこちら『少林窟道場』(広島)
http://www.geocities.jp/shorinkutu/