昨日、7人の学生の採用面接をおこなった。明日、さらに別の学生と面接するが、これが最終選考の場なので面接時間の30分を一期一会の精神で過ごすことになる。
学生も真剣だ。創作小説を持ち込んできたり、デザインの作品集を前もって郵送してくれる学生もいたりして、こちらを悩ませてくれる。
そんな中、音楽のロックが大好きだというコンサルタント志望の男子学生が面接時にこんな質問を発した。
学生:武沢社長が考える良い会社とはどのような会社ですか?
武沢:そうだねぇ、音楽でたとえるなら『ロック』が良い会社で、『ポップス』がだめな会社だと思う。
学生:分かりやすいですねえ。ちなみに武沢社長にとって『ロック』とはどのような音楽ですか?
武沢:誰のマネでもなく、聴き手にもこびない、魂からの音楽のこと。
学生:『ロック』みたいな会社って世間にありますか?
武沢:もちろんある。会社はロックであるべきだと思うし、そうした会社は、中小企業に特に多いと思う。
学生:それはどうやって見抜けますか?
武沢:一番手っ取り早いのは、社長に会って話を聞けば分かる。話し上手な人もそうでない人もいるが、『ロック』な社長は、必ずオリジナリティあふれる考え方や、やり方をされている。
その後もロック談義が続いたがここでは割愛。
1960年代、音楽とプロレスに凝っていた私は「ミュージックライフ」と「ゴング」は毎月欠かさず買っていた。
洋楽ではビートルズとローリングストーンズ、アニマルズ、ドアーズ、モンキーズが大好きだった。フォークでは岡林信康。後に好きになる井上陽水は当時、まだデビュー前だった。
お小遣いをためて集めたシングルレコードのジャケットを壁に貼って、自前の週刊ランキングを作っていた。
いつも上位に来ていたのは「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」や「テル・ミー」、「シーズ・ア・レインボー」、「悪魔を憐れむ歌」、「ゲット・バック」、「レディマドンナ」、「ソルジャー・ブルー」、「朝日があたる家」などだった。
余談の余談ながら、68年(14才)、私の魂をはげしくゆさぶったのが「ドック・オブ・ベイ」(オーティス・レディング)である。
この当時、「ロック」というジャンルを強く意識していたわけではないが、とにかくそれらが大好きだった。
やがて「ロック」とは、カッコイイものの総称になった。
友人と「彼の生き方ってロックだよね」「その考え方はロックじゃないでしょ」などと言いあった。
もちろん、それが「ロック」なのか否かはTPO(時と場所と状況)によっても違ってくる。
20代のカップルが夕食をワリカンにするのはロックだが、50代のカップルがワリカンだとしたらロックではない。
社長もロックでいこう。
「ロック」な社長はすすんで勘定を支払う。ポップな社長は他人に払わせてトクした気分でいる。
ロックな社長は叱ったり注意したりすべき時にそれができる。ポップな社長はそれをせず、あとでチクチク言う。
ロックな社長は社員の反対を押し切ってでもしなければならない決断を下す。ポップな社長は社内の空気を大切にしすぎて、重要な決断ができない。
ロックな社長は我が老いを認めない。だがポップな社長は我が老いをすぐ認める。
会社はロックでなければならない。ポップな会社はいらない。
社長はロックでなければならない。ポップな社長はいらない。
しかも一時的・表面的なロックでなく、首尾一貫したロックでなければならない。