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出世の押し売り

大企業がかつて好んで使っていた職能給制度や職能資格制度などをそのまま中小企業に取り入れてもうまくいかない。そのままでは能がないのだ。さすがにそのあたり、敏感な企業経営者なら直感的に判断されているようだ。

なぜ、多くの書物で紹介されている1900年代の人事制度がダメなのか。それは、頭脳優秀な人事スタッフをもった企業向けであり、仕事がある程度固まっている企業向けであり、尚かつ、社内に人材の質量が揃っている企業向けなのである。そんな会社は普通、ない。

ましてやベンチャーや中小企業は、仕事そのものが毎月、いや毎週激変していく。社員の何割かは毎月入れ替わっている。古参社員といっても20~30代。そんな彼らには、いつも新たな可能性や適性を試してほしい。おのずと、社員は大成功も大失敗もする。その結果、大きな抜擢や無惨な降格もある。あたかも成長期の尾張・織田家や三河・徳川家のようなダイナミックな人事こそが、こうした中小企業組織パワーの源だ。

ある程度の企業規模に達すると人事部を作る。その部門のリーダーに大企業の人事経験者を入れるのは最悪の決定だろう。いや、企業規模に関係なく、事務部門経験者を入れること自体が間違いだろう。営業や製造、開発やマーケティングなど現場感覚をもった人が人事に配属されるべきだ。

そして、自分たちの言葉で飾ることなく合意を作っていくと良い。

まず昇給と昇格と、役職との関係をはっきりさせる必要があるだろう。つまり、出世と昇給の関係でもある。昔は、平社員が課長になり、やがて部長になることが出世であり、そのおかげで、役職手当もついてどんどん給料が上がっていった。家族で赤飯を炊いて出世を祝った。

出世とは何かといえば、上位役職に付くことである。そして管理する部下の人数が増えることを意味し、それに比例して、業績への貢献度や権限と責任も重くなることが出世であった。

社員に対して、「出世とは何か?」「出世という言葉から何を連想するか?」「あなたは出世したいか?」を尋ねてみると良い。

私は今年の新人に対してこの質問をし続けた。その結果、約半数の新人は、出世という言葉にネガティブな感情をもつだけでなく、自らの出世を望んでいないことがわかった。

何を望んでいるか。それは、「面白さ」「感動」「刺激」「好奇心」などのキーワードである。

仕事や人間関係が「面白い」、お客さんとの関係が「感動的」、社内のシステムや制度が「刺激的」、などの方が、「自分の出世」よりも上にあるようだ。

そうした社員の関心に呼応した人事制度になっているかといえば、否である。むしろ古くからある人事制度の大半は、「自分の出世」欲を満たすことに主眼が置かれているのだ。

以上の点に、「21世紀型人事制度」のヒントがある。

良い評価をもらうとなぜ昇進・昇格・昇給していくのか。給料が上がるのは文句を言われまいが、ポストまで自動的に上昇していくのはたまったものではない。おまけに部下の面倒を見るなど、不得手の極致だという人もいるだろう。こうした、「出世の押し売り」があってはいけないのだ。個人の才能や価値観、欲求などを刺激し、尊重する人事制度を作ろう。

ならば、いま流行の「コンピテンシー」ならどうだ、と言われそうだがそれも本質は変わらないとみている。コンピテンシーとは、職責を全うする上で要求される個人的資質のことである。どのような能力を伸ばすかをピンポイントで特定するなどユニークな点が多いので注目はしているが、評価できる段階にはない。

具体論をお急ぎかも知れないが、もう少しじっくりこの問題を研究していきたい。今までの議論を思いっきり集約すると次のような対比表になる。上段が古くからある人事制度、下段が21世紀の中小企業人事制度のイメージだ。

《人事制度のコンセプト》

組織や仕事が人に対して何かを要求するような人事制度
まず個人の才能や能力、欲求などを重視し、そこから組織や仕事を考えるような人事制度

《人事制度の生産物》

公平かつ客観的な賃金評価制度によって納得性の高い処遇を実現
経営理念や企業目的を実現するために、ひとり一人の存在は、欠かすことの出来ない才能の持ち主であることを確認する

《組織イメージ》

辣腕マネジャーと忠実なハードワーク人材集団
ユニークなタレントの集まり

<来週に続くかどうか未定ですが、必ず続くテーマです>