「芸のためなら女房も泣かす」と唄われた桂春団治。
「それもこれもみんな芸のためや、今に見てみい、ワイは日本一になったるんや、日本一やでぇ」という威勢のよいところが特に好きで、私も興に乗ればうたう。
すべて「芸」のために生きる。そうした生き方は芸人だけのものだろうか?
このメルマガを読む経営者やビジネスピープルにとって仕事そのものが「芸」ではなかろうか。
知識と経験を積みかさねながら高みにいたる、という意味において、仕事も「芸」だと思う。
能の観阿弥(かんあみ)は、「人間50才も過ぎると、無心の境地にいたらねばならない」と説く。
必要な研さんを積んで50才代になり、無心になった人だけが到達できる芸の極地のことを「至芸」という。
事実、観阿弥による最後の舞は、52で世をさる10数日前のこと。
その舞台、父をもしのぐといわれた世阿弥(ぜあみ)との共演に観客は沸いた。
息子に代を譲っていた観阿弥は、ごく控えめな舞を演じたに過ぎないが、観客からは「花はますますさかえて見えた」と伝えられる最晩年の観阿弥。
「至芸」とはそういう境地をさすもので、30才、40才、50才とキャリアを加えるごとに進化していくものだ。
中小企業においては、社長以下、至芸の境地にある人を何人抱えているかが勝負、という見方もできるのではないか。
観阿弥はこうも語る。
30代において芸をきわめることに怠りあれば、40代にして必ず能は下がるべし、と。
しかも順調に40代に到達したとしても、40代において「良き脇の為手(して)」(後継者のこと)をもって自分の役割を変えていかないと、やがて芸に難が見えるようになる、ということも指摘している。
おそるべし、観阿弥。
明日、BSで放送される「お好み寄席-落語長講一席 柳家権太楼」はこんな宣伝文句でPRされている。
・・・落語の名人芸をたっぷりとご堪能いただく長講一席。ゲストは柳家権太楼、演目は「不動坊」。年間600回、高座に上がることによって鍛えられた至芸をお楽しみください!
・・・
「高座に上がることによって鍛えられた」とあるが、「至芸」とは、お客によってのみ鍛えられるもののようだ。
30代、40代、50代・・・、お客に鍛えられ、自分の年令と役割に見合った芸風を身につけ、至芸の極地に至ろうではないか。