未分類

捨身と執着

「捨て身」とは、自分の身を捨てる覚悟で全力をふるって事をすること。命がけで行うこと、と広辞苑にある。
仏教語では「捨身」(しゃしん)ともいうので、今日は捨身(しゃしん)で統一したい。

何事においても「捨身」でことに当たることがとても大切なのだ。

私の来年度学生採用の基準はたった一つ「捨身」の覚悟を感じるか否か、である。

うちの会社に捨身で飛び込んでくる子が欲しいと思う。捨身の反対語は「執着」(しゅうじゃく)だが、何かにとらわれる心がある状態をいい、これがあると修行の障害になる。

若くして早、執着するものを持っている若者などは残念ながら魅力が乏しいと思わざるを得ないのだ。これから修行を始めようという若者に一番大切な心構えは「執着」を捨て、「捨身」になることである。
ひとことで言えば、空っぽで飛び込んできてほしいのだ。

先日会った男子学生の書類に「自宅通勤可能なエリア希望」とある。
その理由を尋ねると、彼は「いい質問ですね」とばかり得意げな表情を作ってから持論を展開しはじめた。

・・・社会人になって生活に順応するまでの間はストレスが多いと思われます。そんなときに一人で生活するという別ファクターのストレスを抱えることは、精神的あるいは肉体的苦痛につながって発病するリスクも否定できませんし、ウツに代表されるメンタルへの悪影響も考慮せねばなりません。
その点、自宅通勤であれば勝手知ったる家族のもとへ毎日戻るわけですからそうしたリスクが軽減されることは間違いないでしょう。独り暮らしはある程度、新生活に順応してから始めても良いのではないかと考えており、・・・

「はいはい、分かりました」と私がさえぎらなければもっと続きそうだった。
彼などは、典型的な「執着」なのだが、たぶん本人は執着と思っていない。立派な「智慧」だと思っているフシがある。

別のある女性は、会ったばかりなのにもかかわらず、あきらかに落ち込んでいた。肩がストンと落ちて猫背ぎみになっているのだ。
「どうしたの?」と聞くと「第一志望の企業から今朝、不採用の通知が届いたので」という。
落胆しているのだ。これなども「執着」。

学生の悪口はこれくらいにしよう。

今年もたくさんの学生に接してきた。そして、彼らの心情を察して気の毒に思うこともある。

不慣れな「面接」で極度に緊張してしまい、自分をまったく出せない苦しみ。SPIで10回連続落とされ、その理由が分からずに悩んでいる学生もいた。
とりあえず就活してはいるが、実は就職したいと思わない。いや、自分の人生テーマが見つからないという学生もいた。
そうした学生にとっては、この時期の就活は厳しくて辛いものだろう。

だが、それもこれも「執着」のなせるワザではなかろうか。

とにかく捨身になって飛び込んでみよう。就活目的に短期間にこれほど多くの企業を訪問できるのも今しかないのだから。

「内定をもらえば成功、不採用なら失敗」と思う心が執着の始まり。

自然に身を任せ、「捨身」になって瞬間瞬間を生き切ってみよう。活路はきっと開けるに違いない。

「捨身」を求めている経営者は多いはずだ。

—————————————————————-

【お詫びと訂正】

2008年4月15日号でご紹介したゲーテの言葉に一部誤りがありました。

「10歳にして菓子に動かされ、20歳にしては恋人に、30歳にして快楽に、40歳にしては野心に、50歳にしては貪欲に動かされる。いつになったら人間はただ知性のみを追って進むようになるのであろうか」

が正解でした。

「貪欲」の箇所を誤って「食欲」と書いてしまいました。お詫びして訂正します。自分のことを書いてしまったようです。

教えて下さった佐藤さん、ありがとうございました。