「何でも思い切ってやってみることですよ、どっちに転んだって人間、野辺の石ころ同様、骨となって一生を終わるのだから」
(坂本竜馬)
亀山社中や海援隊で活躍したころの坂本竜馬たちはさぞや痛快だったろう。なにしろ260年も続いた封建制度、身分制度のワクをはるかにこえて、日本という国のために船をあやつり、貿易でお金を稼ぎ、政治的活動までして国を動かしたのだから。
当時の若者からみればあこがれ中のあこがれ。究極の痛快劇だ。
「土佐の芋掘りともなんとも言われぬ居候に生まれて、一人の力で天下を動かすべきは、これまた天よりする事なり」と自分の境遇を語っている竜馬。
日本最初の会社とも言われる亀山社中は、明確な結社であった。
結社とは「共通の目的のために組織される継続的な団体」(goo辞書)とある。
竜馬たちが結社を作った目的は、海軍技術の向上と貿易・商社活動を通しての資金力強化、それに、政治的影響力を強めることにある。
彼らのおかげで「薩長同盟」という大事業が成立しているわけだから、結社の目的は充分に果たされたともいえる。
だが、竜馬個人は暗殺された。非業の死であった。
「日本を今一度洗濯いたし申し候にいたすべく心願にて候」とあるように、日本の洗濯がしたかった竜馬。
封建制度をすてて欧米列強のような近代国家を作らないと、シナやインドのようになってしまうという危機感と焦燥感をもっていた。
だが個人的には無欲で、「一戦争済めば山中へはいって安楽に暮らすつもり、役人になるのは俺はいやじゃ」と語っている。
竜馬の意思を継いだ多くの志士たちが一戦争を起こし、日本を洗濯したが、竜馬個人が願った「安楽な暮らし」は叶わずに落命している。
「志半ばにして倒れる」などの言い方をするが、そもそも「志」とは、自分が存命中に叶うような大きさのものであってはならないのだろう。
だったら最初から、”志半ばにして倒れるものだ”と腹をくくっておこうではないか。
志半ばで倒れるからこそ、それを受け継いでくれる仲間が必要になる。
その仲間のことを同志という。
株式会社も有限会社会社も合資会社も合名会社も「結社」でありたいものだ。
「結社」とよべるか否かの分かれ目は、「共通の目的」の有無だろう。
共有すべき目的を持っているかどうかである。
掲げた経営理念や経営ビジョンを共有できる相手であれば、もはや部下や従業員やスタッフなどではなく、同志だ。
社員全員が同志であるのが理想だが、まずは、経営陣に同志的結合を求めたいもの。そして、結社的法人を作っていこうではないか。