昨日のつづき。
「小利を得るのは私利私欲、巨富を築くのは正義感」と堺屋太一氏。シンプルだがなかなかの名言だと思う。自分だけ得したい、儲けたい、絶対損はしたくない、という自分中心の考えが先走ると、私利私欲にもとづく生き方になる。その結果、友を失う。そこまでして得られるものといえば、せいぜい小利だけであろう。
巨富を得るためには、まず世間に巨富を与えねばならない。自分の利益、つまり「私益」ではなく「公益」(相手の利益や社会全体の利益)を先に考えるクセを持たねばならない。これは自分と家族だけを優先させようとする動物本来の生き方と相反することなので、トレーニングを積まねばならない。
正義や大義名分といったものを掲げ、そのために戦おうとするトレーニングが必要なのである。なかにはトレーニングなど不要で、最初からそうした公益の精神が備わっている人もいるが、多くの場合は、「衣食足りて礼節を知る」の方である。「経営理念」、「使命」、「ビジョン」などを掲げるのも、経営者自身に対するトレーニング的要素もある。
自己中心的に傾きがちな本能に逆らってでも正義感を発育させる必要があるのだが、それを阻もうとするワナが潜んでいる。知性の高い経営者ほど陥りやすいそのトラップとは「客観性のワナ」である。会社のことや世間のことを知れば知るほど客観的になり、主観的に生きることが難しくなるのだ。
そもそも、知識や情報をたくさん集め、賢くなるのは結構なことである。知識が増えれば増えただけ世の中を客観的に見ることができる。知識や情報が乏しければ、偏った考え方をもとにした主観的な生き方にならざるを得ない。つまりこういうことだ。
「知識や情報が豊富=客観的(第三者的)」
「知識や情報が乏しい=主観的(思い込み)」
もちろん客観的であることは好ましいことだが、それだけではうまくいかないのがビジネスである。経営者には客観性だけでなく主観的であることも求められるのである。目標設定するという行為そのものが主観的なことだし、根拠も確証もない目標が「必ずできる!」と信じることができるのも「主観力」とでもよぶべき特異な才能のたまものだ。
「理念」や「ビジョン」は主観力の極致でもある。我社が発展することは社会にとって善である。同業者ではなく我社から買うことで初めてお客は幸せになれる、といったことを臆面もなくいえねばならない。「どこで買っても一緒」だったら営業マンはお客を口説く口実がなくなってしまう。それは兵士を丸腰で戦場へ送り込むようなものだ。
こうした「主観力の発育」は経営者だけに求められる才能ではない。
・明日の誕生日のお祝いにホームランを打ってあげるねと子どもに約束するプロ野球選手
・どうか安全快適な空の旅をお楽しみ下さい、と自信ありげにアナウンスする飛行パイロット
・このお食事にベストマッチのワインはこちらのボルドーです、と推奨できるソムリエ
彼らに共通しているのはお客に夢を売るプロフェッショナルである点だ。夢を売る仕事に共通する必須スキル、それが「主観力」なのである。客観的なスタンスを維持しながらも「この場合はこれです!」と断言できる両刀使いをめざそう。
今日の結論:経営者は主観と客観の両刀使いができるようになろう。多くの場合、知性あふれる客観的な経営者が多いので、そうした方々が特に意識すべきは「主観力」の発育である。