未分類

志と死

元日に満50才になったというA社長との会話。

A:武沢さん、いよいよ私も50才になった。黄金の50代がこれから始まると思うと、とても楽しみだ
武:黄金の50代とはいい響きですね。なぜそう思うのですか?
A:だって子育ても終わって可処分所得と自由時間が増えたし、親の面倒を見させてもらう負担も減った。かみさんもあまり自分を拘束してこないし、なにかと良いところだらけの50代さ
武:なるほど、でも、あまり羽根を伸ばしすぎないように
A:大丈夫、お酒は飲めないので会社経営と趣味のヨットに専念しますから

人生の折り返し地点の50才をA社長のような明るい気分で迎えることができれば幸せだろう。
そして、20年、30年後の誕生日に、「やっぱり人生は後半がおもしろかった」と述懐できていれば更によかろう。それにはどうすべきか。

昨日号では、53才になった同窓生と久しぶりに再会すべく、同窓会に参加したときの模様を書いた。
さっそく何通かのメールを頂戴しているので、まずそちらを紹介したのち、追記を書いてみたい。

・・・
千葉県在住のH子です。もうすぐ65歳になります。

女性で同窓会に参加できる人は幸せな人だと思ってきましたが、それは男性も同じなのか、と思いました。
同窓会に参加しての武沢さんのいろいろな思いが目に見えるようでした。
いつもは向こうから声がかかり、丁寧な扱いを受ける武沢さんが、同窓会の受付では通り一遍の扱いで慣れなかったことでしょう。
ある意味、それが良かったかもしれないです。

まだそのお年では社会的肩書きがあるでしょうが、それを卒業する年齢になると違った意味でもっと親しくなれるから、同窓会には参加されるのがよいと思います。
今年もお元気でご活躍ください。
・・・

なるほど、まだ53才だ。
同窓会での互いの会話で、相手の職業や肩書きを気にするところがあったが、それがなくなるとどんな同窓会になるのか・・・。

H子さんの体験からにじみ出た貴重なご意見に感謝したい。

次は、その同窓会に参加していたS君(同窓なので、あえて「君」と呼ばせていただく)から届いたメール。

・・・
メルマガ読みました。
(劣等生だったので気が重かった)という赤裸々な告白にびっくりです。武沢君とはクラスを共にしたことが無いから縁が薄かったけど、私も似ています。

私は、高校時代は、1年に遊びほうけてクラス最下位で漂い、3年で履修完了出来ずに受験失敗し、進学塾へ1年浪人。
3Aは優秀なヤツが多かったのよ。ホント。(他のクラスでも同じか!)でも、成績が悪いのは自分がやらなかったせいで、高校生活はとても面白かったと今でも思っています。

同窓会では、優秀な奴らが目立つというか、功なり名を遂げた(つつある)仲間が多いかも知れないが、在学中の成績と、その後の人生が必ずしもイコールで結ばれないのが、「ああ、人生とはそんなモノかな」と思うところです。

「人生万事塞翁が馬」という故事が好きですが、あまりその瞬間のポジションに一喜一憂はしたくないと思っています。

ところで、頑張れ、武沢社長!
あなたのメルマガは、NO.654から読んでいます。元気のでるメルマガです。
「がんばれ社長」フォルダには1596件のメルマガetcがたまってます。
これは我が学年の社長には読んで欲しいな。
(後略)
・・・

学年でもリーダーシップを発揮していたS君が2003年から今日まで欠かさずメルマガを購読してくれていたとは知りませんでした。
彼は今、立派な経営者として会社を成長させている誇るべき同窓です。

人間の評価って何なのだろう、と感じていたところ、こんな一文に目がとまった。

月刊「致知」をはじめ、人間学を高める出版社の藤尾秀昭社長は、著作『小さな人生論 3 』にこんな逸話を紹介されている。

・・・
一人の弟子が道元(禅師)に聞いた。
「人には皆、仏性があるというのに成功する人としない人がでるのはなぜか」
すると道元は「努力する人としない人の差だ」と答える。
弟子は、「人には皆、仏性があるのに、なぜ努力する人としない人がでるのか」と食い下がる。
道元は、「努力するものは志をもち、努力しないものにはそれがない」と答える。
さらに弟子は食い下がる。
「仏性をもつ人間に、どうして志の有無がでるのか」
すると道元は「志のある人間は、いつか自分は必ず死ぬということを知っている。
それにひきかえ、志のない人間は自分が必ず死ぬということを本当の意味で知らない」

と答え、弟子を黙らせたという。
・・・

『小さな人生論 3』 http://www.amazon.co.jp/dp/4884747933/

「諸行無常」、万物は変化する。生から死への片道通行の旅路で、人はいつか必ず死ぬ。死ぬことを考え、死ぬ覚悟をしておくことは悲観的なことではなく、むしろ積極的なことなのだ。

死に急ぐ必要も生き急ぐ必要もないが、ちょっと大げさに言えば、志をもつということはデッドライン(ゴール、文字通り「死の線」)を決めてカウントダウンするような気持ちで一日一日を生きるということなのだろう。

人間は社会的肩書きが問題なのではなく、日々どのような生き様を送ってきたのかが、顔つきやオーラに素直に表れる。

志の有無、こればかりは誤魔化しようがないものだ。