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なくても良い会社になる

あるレストランで、ゴルゴンゾーラのニョッキをつまみながら赤ワインを楽しんでいた。
ご一緒したA社長とB社長の会話も私にとってはおいしい肴になっていた。

A社長の会社は自動車部品の製造業。B社長は、携帯端末向けのゲームソフトを開発している。
彼らは小中高大と同じ学校で、無二の親友でもあったらしい。ところが最近は互いに社長業が多忙で、この日は5年ぶりの再会だという。

以下、二人のやりとり。

・・・
A:うちは、世の中になくてはならない会社になりたい。うちの会社がもしなくなれば、お客である元請けさんが途方にくれるような会社になりたいと思っている。
B:それは威勢がいいね。
A:お前のところはどうなんだ。
B:うちは真逆だね。むしろ、いかにして世の中になくても良い会社であれるかをずっと考え続けている。
A:はあ? なくても良い会社になりたいだと?
B:そう、うちの会社が明日倒産しても社会からみれば痛くもかゆくもない、そんな身軽な会社になりたい。
A:またよく分からんことを言い出す。酔っぱらってないか?
B:いや、俺はいたって冷静だ。「紫のウシを売れ」という格言があるように、うちは世の中に本当はなくても良いものだけを扱う会社だ。値段に関係なく売れるもの、当然、高粗利・高収益になる。
A:よく分からん。そんな濡れ手に粟のような考えをしていると、不況がやってきたとき、まっさきに倒産するのはお前のような会社だ。
B:お前こそバカだな、久しぶりに会ったら頭が固くなったようだ。むしろ、お前のような常識人が会社を経営してたら、せいぜい普通の会社しか作れないぞ。
A:普通の会社のどこが悪い。
武沢先生、申し訳ありません。こいつ、時々奇をてらうようなことを言いだすんですよ。でも人間は決して悪いヤツではありませんから。
B:謝る必要はないだろう。俺なりの率直な持論を展開しているのだから。ところで武沢さんはどっちの考えが正しいと思いますか?

武沢:・・・(ワインを口に含みながら天井を見上げ、黙して語らず)

・・・

私は、彼らのやりとりを聞きながら、他ごとを考えていた。
いや、記憶のかすか遠くにあるひとつの名言を思い出そうとしていたのだ。

それは昭和のカリスマコンサルタント一倉定氏の名言だ。
そして、思い出した。

「”世の中になくてもよいもの”は、高収益を期待できることを知れ。」
というあの言葉だ。

仮にあなたが焼肉店の経営者だとする。

普通の経営者なら売り上げを極大化させようと考えるだろう。
従って、客数×客単価のかけ算の結果が最も大きくなるような価格設定を考える。

市場調査し、地域住民の所得や性別、家族構成などから、平均客単価を4,000円、毎日の客数は50名を期待し、一日売り上げは20万円、というように予算化をしていくだろう。

仮に客単価を6,000円に上げれば、客数は30名程度になるので売り上げが減ってしまってダメだ、という具合だ。

だが、あえて売り上げの極大化を考えなければどうなるか。自由度は俄然上がる。

客は一日5人で良い。そのかわり特上の肉だけのコース料理で、客単価は2万円。営業時間は一日三時間だけの完全予約制、というような選択だってできる。

先日訪れた京都のあるだんご店は、営業は一日3時間だけで、何千個のだんごを売りさばく。
両隣のお店が一日中営業して売る量の数倍を3時間で売るというのだ。

同じく京都のある饅頭店では、隣の饅頭の値段の三倍以上もするが、一日中行列が途絶えることがないのに対し、隣のお店は行列が一度もできない。これがビジネスの現実だ。

世の中になくてはならないものを売ろうとすれば、自ずと、誰かと価格を競い合うことになる。

一方、世の中になくても良いものとは、値段に関係なく売れる商品のことだ。

「我社は世の中になくても良い会社です。なぜなら、世の中になくても良いものばかりを扱っているからです。でもそのおかげで、とても高収益です」

と胸を張って言い切れる会社を目指すのもひとつの立派な選択肢ではなかろうか。