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ホメオスタシス その3

さてホメオスタシスの稿、続きに入る前に、次のお話しをお伝えしておかずばなるまい。

『初心禅心』という禅の本があり、そのなかで鈴木俊隆禅師は、次のように述べている。

・・・馬には四種類の馬(最高の駿馬、ふつうの駿馬、駄馬、最低の駄馬)がある。最高の駿馬は、鞭の影さえ見えないうちから騎手の意志に従ってスピードや方向を変えて走る。普通の駿馬は、鞭が馬身をたたく直前になって初めて最高の駿馬と同じように走る。駄馬は、馬身に鞭の痛みがしなければいうことをきかない。そして最低の駄馬は、骨の髄まで鞭の痛みが伝わらなければいうことをきかない。上手に走るための学習は、最低の駄馬が一番難しいはずだと、読者は思うのではなかろうか。この話を聴いたら、たいていの人は最高の駿馬になりたいと思う。最高の駿馬がだめなら、ふつうの駿馬になりたいと思うだろう。・・・

だが、これは間違いだというのだ。

あまりに簡単に出来てしまうことの弊害というものがある。天賦の才能が豊かで、騎手の意向を瞬時に見抜き、難なく結果を出してしまう最高の駿馬。しかし、そうした駿馬ほど、練習の核心部分まで至らずにその生涯を終えることが少なくないのかもしれない。

この鈴木禅師によれば、

・・・書道を研究すると、それほど器用でない人が一流の書家となっていることに気づくだろう。かなり器用な人は、ある段階に達すると大きな壁にぶつかることが多い。これは芸術であれ人生であれ、同じことだ。最高の駿馬が最低の駄馬となり、最低の駄馬こそが最高の駿馬になる。辛抱してたゆまず練習を続けるうちに、神髄を学びとるからなのだ。・・・

さて、今日のお題は何だったか?そう、「プラトー」対策についてだ。

最善を尽くしている、なのに結果が伴わないということは良くあることだ。ダイエットでも英会話の修得でもピアノのレッスンでもそうした期間が一定周期でおそってくる。それを「プラトー」という。

出来るものなら「プラトー」の期間など、なしにしてもらいたい。そして、やればやっただけ結果が出る期間(ラッシュ)ばかりにしてほしい、とお思いになるだろう。私も同感だ。だが、プラトーの期間こそが、駄馬が神髄を学びとるための期間であり、駿馬に至るに不可欠な熟成期間だといえるのだ。

しかも「プラトー」という期間は、人生で最も多くを占める期間でもある。「ラッシュ」のような日々はテレビドラマや映画の話であって、現実は大半が「プラトー」の日々である。いや、むしろ「プラトー」の日々なら幸せだ。私たちが注意せねばならないのは、「プラトー=惰性」ではないということなのだ。何かを目指して最善を尽くしているが、何も変化が表れない長いトンネルに突入してしまった、それが本当の「プラトー」だ。

メールマガジンを毎日出していると、その大半が「プラトー」だ。「ラッシュ」と思える日なんて今まで数えるほどしかない。

プラトーだからといって、焦ってジタバタすると、かえっておかしくなることがある。毎日のマガジン発行そのものを自分の日課として楽しむことを忘れ、まるで修行僧のように発行していると辛くなる。また、すぐに何らかの有形の結果を求めて、読者数を伸ばすための運動に奔走し過ぎたり、メルマガを売上げに直結させることばかりを考えているようでは危険だと思う。

最後に、「プラトー」の期間を乗り切るコツを。それは簡単だ。「プラトー」を愛し、好きになり、同時にまた「ラッシュ」も愛することだ。

愛し、好きになるコツ?

それは楽しむことだと私は思う。