今週の日曜日。午前4時に横須賀のホテルを出発。目的地は北鎌倉の円覚寺。
円覚寺(えんがくじ)といえば、臨済宗円覚寺派の大本山であり、毎週土・日には、一般客が参加できる早朝坐禅会が実施されている。
夏目漱石や島崎藤村もここに参禅しており、漱石の「門」の主人公は、門は開けてもらうのではなく自分で開けるものだとこの寺で悟っている。
バシバシッと二発、左右で四発の警策を受けた私。別段、眠かった訳ではないが、自分から進んでお願いした。
肩胛骨のあたりを打たれる音が禅堂全体に小気味よく響きわたる。痛いというよりは、気が引き締まってすがすがしい気分になれた。
この日ご一緒した池部さんは「私のは痛かった」とこぼしておられたが、きっと打ちどころが悪かったのだろう。
座禅が終わってもまだ午前6時半。雲水が境内を掃除するなか、ゆったりと円覚寺内の各所を散策した。まだ開門していない時間なので、雲水以外とは誰とも行き交うことはない。
そうした静寂の時間を楽しんだあと、長谷寺で写経。この日はちょうど定例写経会の日で、写経会場は我々が座ってちょうど満席となった。
座禅にしろ、写経にしろ、身を清め、心を静めて我が心にある仏性に目ざめようとする行為。
座禅中、写経中に大悟した先人は多いが、たとえ大悟しなくとも代えがたい安堵感が得られる。
写経が終わると、自分の住所と名前を書き、願意(願いの主旨)を書かねばならない。この一枚の写経を何の願いを込めて書いたのか、ということだ。
国家安泰や世界平和を願って写経するもよし、庶民的になって商売繁盛・家内安全・試験合格などと願うのも悪くない。
大切なことは気持ちを込めること。一字一字願いながら書くことだ。
習字や書道ではないので、美しくきれいな文字を書くことが目的ではなく、他人に見せるものでもない。
命をこめて紙に彫るように書くものだ。
我が命、我が身体はかけがえのない大切なものであり、毎日ただ無事に過ごしているだけで人生の価値がある。
そう悟れば人生は喝采すべきものになるが、そこに煩悩や執着が加わってくると、足りないものが目について苦労と苦悩が始まる。
だから煩悩を取りさるための努力が必要で、それに有効なのが座禅や写経だ。
もうひとつ、ここに別の考え方がある。もっと厳しくストイックな考え方だ。
命や身体は単なる道具であって、道具自体には意味がない。価値あるものにそれを使うことによって、道具としての意味が出てくる、とする考え方だ。
禅宗の開祖者・達磨(だるま)大師と修行僧・神光(じんこう)のやり取りを思いだそう。
修行僧・神光は、40年間にわたって万巻の書を読み、修行を続けてきたが、いまだ真理にいたらない。
そこへ、「少林寺に達磨あり」とのうわさを聞きつけた。さっそく少林寺に出向いた神光。だが、達磨は会ってくれない。
あきらめない神光の前に季節が過ぎてゆき、やがて冬になった。
下半身を雪にうずめて雪中に立ちつくして教えを乞う神光に対し、ついに達磨が口をひらいた。
達磨:何を求めて雪中に立ち続けておるのか
神光:なにとぞ、なにとぞお願い申し上げます。この迷える者にどうか甘露の門を開きたまえ!
達磨:諸仏無上の真理の道を得たいのか
神光:はい!
達磨:それでは小智 小徳 軽心 慢心をもってしては勤苦を労するぞ。真理を得るには行じ難きを行じ、忍じ難きを忍じなければならぬ
神光:はい、・・・
次の瞬間、自らの決心を表すために神光がとった行動は。
自らの左腕の切断である。それを達磨に差し出しながら、「これが私の発心です」と神光。
「その心、今後も決して忘れるな」と弟子入りを許可した達磨。
神光は後に、達磨の後継者となり、第二祖、恵可(慧可とも書く)と名のるようになる。
「恵可断臂図」
http://www.kyohaku.go.jp/jp/syuzou/meihin/kaiga/suibokuga/item06.html
神光にとっては真理を得るためならいかなる努力も惜しまないという決意を見せるために左手を差し出した。
このとき、神光の左手は道具として最高の仕事をした。
あなたの命や身体を何に賭けるか。すでに賭けるものを見つけている人はその決意を日々新たにするための行為が必要だろう。
身命を賭すほどのものがまだ見つかっていない人は、早急に見つけよう。