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両箇の月

中国人の友人が、月餅を持ってきてくれた。
中秋の名月にあわせて、横浜の名店から取り寄せてくれたという。

中国では名月のこの日、家族全員が勢揃いし月餅を楽しむしきたりがある。もし、わが子が残業や出張などでこの日に揃わなかったりすると、「親孝行以上に大切なものがあるのか」と、親が泣く。

日も沈んだので外へ出てみると、近年記憶にないほど鮮やかな名月にしばし呆然と立ちつくした。
世界中の人が見ているこの月を見上げながら、ふと「両箇の月」の禅話を思いだした次第。

「両箇の月」のごとくありたい。

曹洞宗大本山總持寺祖院のサイトから、鎌倉時代のこの逸話のあらましをご紹介しよう。

・・・両箇の月-二つの月-

瑩山(けいざん)さまは、二十八歳の時四国に渡り阿波の城満寺の初代住職となって全力を尽します。

途中いちど京都で草庵をたてた時に、その頃天台教学を学び比叡山で一番の秀才ともてはやされていた 峨山(がさん)さまと出逢います。

その後大乗寺の二代目住職となった瑩山さまのもとへ「あなたさまのみ教えが身にしみて、あれいらい、まことの道を求めてさまよい歩いています」と峨山さまがたづねてまいりました。

こうして自分のなやみはあったけれども、世の中の多くの人々を救うために峨山さまは瑩山さまのお弟子になりきびしい修行をはじめます。

そんなある夜のこと美しい月を見上げながら瑩山さまはたづねました。

『峨山、おまえは月が二つあることを知っておるかな』
『はて一つしか見えませぬ』
『それではまだ修行がたりないな』

峨山さまはお師匠さまの言葉の意味がわかるまでやりぬこうと、前にもまして一心に修行に打ちこみ二年がたちました。

月の下で坐禅をくんでいた峨山さまのそばに瑩山さまはそっと近づき指を鳴らします。
ハッと驚く峨山さま。

『わかった まよいからさめました』
『言ってみよ』
『仏さまは全世界を照らすひとつの月もうひとつはそのお慈悲の心で
人々も月のように澄んだ心を持つことができる。月は月を継いで二つとなります。さらに無限につづきます、私もその月のひとつ』
『よし、それでこそ御仏の光を受け継ぐことができる』

峨山さまはこの時三十二歳、さらに心を引きしめて仏道修行に励むのでした。
・・・

という話。

その後、師弟そのものも二つの月となって国中を照らすことになるのだが、弟子の峨山は若いころ、厄介な問題を抱えていた。

若くして出家し、仏教学を納めた超エリートで筋骨たくましい偉丈夫でもあった峨山のこと、自らの頭のよさを自負し、人をどこかで見下ろすようなところがあったという。

それを案じていた師の瑩山は、弟子の鼻を折るタイミングを見計らっていたのだ。
そして満月のある日、「月に両箇(二つ)あることを知っているか?」と弟子にたずねたわけだ。

聡明利発な人間は、問いの答えを書物や人に求めたがる。このときの弟子もそうであった。
そうした学問的態度をやめさせ、真理をもとめて自らの存在に問いを発するため、ひたむきに坐禅修行を続けた弟子。

「仏道を学ぶということは、自己を学ぶということである。自己を学ぶということは、自己を忘れることである。自己を忘れるということは、すべてのものに悟らされることである」

両箇の月

すなわち一つめは実在する月。もう一つの月は、地上の万物を照らしわたらせる光。
仏教の教理(ひとつめの月)に精通していようとも、それが日常生活の喫茶喫飯にいたるまで貫いて実践されていなければ、「両箇の月」つまり、真の悟りとは言えないという師の教えであった。

私は「両箇の月餅」を食しながら、800年前の師弟に思いを馳せるのであった。