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エセ自尊心

次のような質問を受けることがある。

・「起業するタイミングを計っていますが、どのような条件が揃えば成功する確率が高いのでしょうか?」

・「ず~っと、あたためてきたAという新事業ですが、なかなか自分にゴーサインを出せないでいます。多少の見切り発車になっ  てしまうのですが、そろそろスタートを切るべきでしょうか?」

いずれもがタイミングに関するご質問であり、しかもそれは決断と実行に関する質問だ。

私はこうした質問を受けるとき、真っ先に思いうかぶ単語がある。それは、勇気という単語だ。勇気とは、「何ものをも恐れない強い意気」と辞書にある。

“何ものをも恐れない”ところが肝心であって、私たちは通常何かを恐れていることが多い。その最たるものが、プライドを傷つけられることではないだろうか。日本語で自尊心という。

自尊心とは、自分を尊重し誇りを持つことである。自尊心を持つことが人間として大切であることはいうまでもない。

だが私は、その自尊心というものが我々の挑戦や行動を妨げる要因にもなると考えている。

カッコ良く成功したい
みじめな姿は見られたくない
変なヤツだと思われたくない
自分を受け入れて欲しい
一発でスマートに成功させたい
計画通りに事を運びたい
・・・etc.

自尊心があるからこそ、このような願望を私たちは持つ。だが自尊心が強すぎると、失敗したくないがゆえに、企画や計画、調査などと称する膨大な「準備作業」に時間を費やし、勇気の足を引っ張ることがあるのだ。

一度も失敗せず、やることなすことすべて成功していくという人は一人もいない。釈迦も孔子もキリストも、生きてる時は格好悪かったではないか。

個人生活でもビジネスでも、足跡として残るものは達成の記録であって失敗の残骸ではない。

冒頭の質問を発する方々の気持ちはよく理解出来る。大切なことは、成功するまで挑戦することである。

挑戦が始まらない限り、失敗もないが成功もない。失敗しないから自尊心が傷つくことは避けられるが、挑戦していない自分を見ることでもっと大きな自尊心が傷ついていることを知らねばならない。

多くの人が抱く次のような願望をよ~く見て欲しい。

カッコ良く成功したい
みじめな姿は見られたくない
変なヤツだと思われたくない
自分を受け入れて欲しい
一発でスマートに成功させたい
計画通りに事を運びたい
・・・etc.

すべて表面的で浮ついた願望だと思わないだろうか。偉業をなすことが大切なのであって、偉業のなし方にこだわりすぎていると、それはもはや、自尊心とも呼べないほどの“エセ自尊心”なのかも知れない