未分類

春団治と寛美

私のiPodの中には、『浪花恋しぐれ』(都はるみ、岡千秋)が入っている。
なぜかこの曲を聞くたびに、私も “芸を極めよう” という気になるのだ。

「芸のためなら女房も泣かす、それがどうした文句があるか」と歌われた桂 春団治(明治11年~昭和9年)。
ウィキペディア(Wikipedia)に、こうある。
・・・
初代 桂 春団治(しょだい かつら はるだんじ)は、天才的な巧みな話術で、戦前の上方落語界のスーパースター的存在であった。従来の古典落語にナンセンスなギャグを取り入れた大胆な改作で爆笑王として人気を集め、当時の先端技術でもあったレコードに落語を吹き込み、多くの人を魅了した。
・・・

春団治は生き様が破天荒で、歌にもなった。
借金・女遊び・酒乱が高じた振る舞いは、常に世間の話題となった。
ある意味、それが人々から共感をよび、やんやの喝采をあびることもあった。
そうした型破りな生き方や金遣いの荒さは、後に、藤山寛美や横山やすしなどにも多大な影響を与えたという。

こうした骨太の芸人が減っている。

とくに最近のテレビが芸人の芸離れを助長しているようで、芸を期待するのではなく、素の会話のおもしろさを求めている。
当意即妙のやり取りで場を盛り上げることができる芸人がテレビにたくさん露出する。そうした現状を危険だと思っているのは、当の芸人たちのはずだ。

ダウンタウンの松本人志が著書の中で、「この人は素で面白い人なのではなく、面白い人を演じる事の天才だ」と最高級に評しているのが藤山寛美だ。

彼が世を去って17年。
娘の女優・藤山直美のほうが有名になり、父の存在が忘れられつつあるが、私は子供のころ寛美の舞台が放映されるのがとても楽しみだった。
天才と言われた。とくに阿呆役をやらせたら、彼の右に出る者はいないとまで言われた。
あの特異なお化粧と話し方の奥には、芸を磨くことに妥協をしない努力家としての顔が潜んでいる。

その寛美が晩年、このように語っている。
「最近はテレビやラジオという便利なものができたおかげで、芸人はテレビにちょっと出してもらっただけで、すぐに日本中に顔と名前が知れ渡るような時代になった。テレビ関係者に可愛がってもらうだけで、全国ネットの電波に乗ってすぐに有名になれる時代が来たのだが、芸人はそこのところを錯覚して、自分の芸に人気がついたと思ってし
まう。本当は、そうではなくて、お客さんからみて顔なじみになったというだけのことで、実力や人気がついたのとは違う」と。

これは、昨夜放送されたNHKBS放送「藤山寛美 役者の履歴書」の一コマだ。

人気と顔なじみとは別だ、というのだ。

これは私たちのビジネスや会社経営にも通じるメッセージではなかろうか。

「遊ばん芸人は花が無うなる」と遊びを奨励した寛美の母。
春団治の豪快な生き様に影響を受け、母のこのことばの援軍を得て、実際に寛美も豪遊した。それもこれもみんな芸のために、金を使いまくった。
そのあたりの記事は、こちらのウィキペディア(Wikipedia)に詳しい。

藤山寛美
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%B1%B1%E5%AF%9B%E7%BE%8E

藤山寛美が桂春団治を演じた貴重な舞台がある。そのDVDがamazonで売っているのを見つけた。
さっそく注文してみたが、笑ってみたい方、寛美や春団治を研究してみたい方は、ご一緒にいかが。

→松竹新喜劇 藤山寛美 笑艶 桂春団治(第一部~第三部)


むすび

「芸のためなら女房も泣かす」ような生き方は今の時代、許されない。
芸も女房も両立させねばならない。いや、おまけに子供、健康、趣味、人間関係、教養などもバランスをとらねばならない。

だが、時によって「何もかも捨てて芸に打ち込む」春団治や寛美のような生き方があることを忘れてはならないと思うし、そもそも生き様そのものが自分の十八番芸になるようにしようではないか。