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甲子園請負人

やはり春は選抜から。12日間におよぶ高校野球甲子園大会が始まった。昨夏のような熱戦に次ぐ熱戦の大会になることを期待している。

さて今大会では、私の地元・愛知県から一校も出場していない。昨年秋の東海地区大会で早々と敗退したからで、そのかわりに岐阜県か
ら二校も出場している。
中京高校(瑞浪市)と大垣日大(大垣市)である。中京高校は初戦、千葉経済大学付属高校に惜敗したが、もう一校、我が故郷・大垣市か
らの出場校が残っているので楽しみだ。

その大垣日大高校が二年前に招聘したのが阪口慶三監督(62才)だ。

氏は甲子園の常連高・東邦高校の監督として二度の全国制覇を成し遂げた名将であり、2004年の夏の大会を最後に勇退されていたのを三顧
の礼をもって大垣日大が迎え入れたわけだ。
そして2005年から岐阜の大垣日大高校監督に就任し、再び甲子園を目指すことになった。

「東邦と同じ練習をしたら選手はみんな辞めてしまう」と阪口監督が語るように、スパルタ指導で怖い指導者というイメージは完全払拭
され、選手をほめることのほうが目立つ。
それは阪口監督自身の考え方の変化でもあった。
「大垣に来たら、東邦ではできなかったことをやってみよう。まず、選手を根っからの野球好きにしないとダメだ。そのためには叱るよりほめて育てるほうが良い。その方がチームがより強くなる」と考え、実行した。

「阪口監督来る!」の報に接した高校生選手たちは大垣に集まりだした。2005年からさっそく有望な1年生が多数加わり、その1年生が主体のチームに変えた。
2005年の監督デビュー初戦は、大差をひっくり返してのサヨナラゲームで勝った。だが、数日後の愛工大名電との試合では18対4と惨敗し、その時点では格の違いを見せつけられて”道遠し”と誰もが思った。

だが “阪口効果” によって、選手も学校も父兄も変わりだした。自分たちは本当に甲子園へ行ける!
そして、野球に取り組む上で必要なハードもソフトもすべてを阪口流に一新した。

選手の選抜と起用も阪口流だ。たとえばエースピッチャーの森田君。
彼は捕手と三塁手の経験しかなかったが、監督に素質を見抜かれて投手に転向。監督の指導通りの練習をしてきたら、急速が20キロ以上も早くなった。

甲子園で勝つためには速球だけでなくキレのある変化球の習得と微妙な所を投げ分けられるコントロールが必要だ。
一球入魂、ブルペンで練習するときも甲子園の大歓声をイメージし、心臓をドキドキさせながら練習しているという。

大垣日大は、昨秋の岐阜県大会を勝ち進み、愛知私学四強(中京大中京、享栄、愛工大名電、東邦)や静岡、三重の競合たちが勢揃いした東海地区大会に出場し、準決勝で敗退したが「希望枠」で甲子園に選出された。初出場である。

組み合わせ抽選の結果、大会6日目、出場校32校中の一番最後の甲子園登場となった。
調整がむずかしいところだが、小林主将は「先生からたくさん学べるので大丈夫です」とまったく意に介していない。

1回戦を突破したら選手らに「吉本新喜劇」を見せるという阪口監督。孫ほど離れた選手たちとの信頼関係は絶大であり、どこまで新・阪口旋風、大垣旋風を起こしてくれるか、楽しみである。

あさって水曜日の北大津(滋賀)戦が見ものだ。