週末に豪州から帰国し、昨日一日かけて貯まっていたメールと録画番組をすべてチェックした。
いよいよ佳境の『華麗なる一族』。
TBS開局55周年企画だけあって、採算度外視と思えるような番組作りとなっており、高視聴率をずっとキープしているようだ。
企業と家族を守り抜くために心血を注ぐ万平大介(北大路 欣也)と、長男・鉄平(木村 拓哉)との骨肉の争いは、原作を読んだときには、もっともっと辛くて悲しい場面が多かったように思う。
昔みた映画では、佐分利信が大介役を、仲代達矢が鉄平役を演じていたが、親子のおどろおどろしいまでの確執の深さを味わうなら、そちらの方が上だろう。
しかし、今をときめくイケメン俳優勢揃いのテレビドラマなのだから、こちらではあまり重くしすぎていないようで、重厚ななかに軽めのテイストで演出されている。
昭和のロケセットや映像もかなり力がはいっているし、私は最終回まで欠かさずみるだろう。
だが、この番組によって会社経営というものに対して、誤解してしまう若者を多くつくってしまわないかと心配もしている。
阪神銀行を守るためには、長男が経営する阪神特殊製鋼を倒産させることだっていとわずにやるというあたり、父・大介のすさまじいばかりの生き様だ。
オーナー企業の経営者は、会社=自分そのものであり、社長=殿様みたく、自分の一存で何でもできるという印象を与えかねない。
社長=殿様、会社=殿様のもの、などでは決してない。
公器であり、マーケットが栄枯盛衰を決めるものだ。
そうした意味において、『華麗なる一族』は昭和の時代の日本的会社経営を勉強する上でよい教材になるだろう。
昭和のオーナー経営者にとって 、会社は自分のものであり、家族に継がせるものであった。それが常識であり、それ以外の考えが非常識だったわけだ。
大株主である銀行と一部の政治家だけの思惑によって進められる業界再編など今日ではありえないことだ。そんなことをやっていた、国全体がほろんでしまう。
企業の未来は、社員や市場(顧客や株主)が決めるものだ。一部の人が生殺与奪の権利をもつものではない。
ましてや閨閥を利用して勝ち抜くとか、政治家を利用して有利に事を計ろうなどという姑息な手法は必要ない。
正々堂々とマーケットで勝負する、それが平成の会社経営だ。
そういう視点で、『華麗なる一族』の平成版を作ってほしいものである。