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権限委譲は現場委譲にあらず

●今日はバレンタイン。
チョコ好きの小学生だった私は、板チョコをまな板の上でみじん切りにしてソバのようにして食べる夢をみた。
その夢はそれっきり見ていないのだが、今でもその夢の光景をはっきり覚えている。

●覚えようと思わないのに覚わってしまうものもあれば、覚えたくても覚えられないものがある。記憶のメカニズムって不思議なものだ。

●めったにやらないゴルフだが、ラウンド後にこんなやりとりを聞く。

「11番のドッグレッグはうまくショートカットできたけど、14番の池ポチャはもったいなかったよなあ」とか、「このコースの9番のバンカーはきついけど、岡崎にあるレイクカントリーの2番に比べればまだマシだよな」などの会話を聞いていると、その記憶力にただただ脱帽だ。

●プロでもないのにどうしてそんなに覚えているの?と聞きたくなる。
あたかも、プロの棋士が勝負のあとの感想戦で、初手からスラスラと対局を再現できるのと同じなのだろう。
ある条件を満たせば心のカメラの録画ボタンがオンになり、それ以外はオフになっているのだろうか。

●経営者は社内の誰よりも仕事に詳しくなければならない。細部にいたるまで、現場の仕事に精通し、記憶しているべきだろう。
取引先の社名や社長名、担当者名、人柄から趣味嗜好にいたるまで、覚えているほうがよい。いや、本来は覚えようとして努力するのではなく、自然に覚えてしまうものなのだ。

●ところが実際には、経営者は社員に権限委譲をすすめていくうちに、現場から離れていってしまう。これはある程度、やむを得ないことだが、現場感覚までもなくしまうと、社内で現場のことをもっともしらない存在になってしまう。
そうした経営者が適切な経営判断ができるとは思えないのだ。

●現場のことは思い切って社員に任せよう。ドシドシ任せよう。

だが、いつでも現場復帰できるくらいの現場感覚は保持しよう。現場に関心をよせ続けるのだ。そうすれば、実務から遠ざかっても大丈夫。

権限委譲は現場委譲にあらざるなり。

現場でおきている仕事に対して、ゴルフコースの記憶とおなじほどの記憶を持っているか否かが勝負の分かれ目だと思う。