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続・早熟と晩成

“時刻を教える達人になるよりは、優れた時計を作る名人になるのが良い” とされるのが会社経営者だ。
これは、名著『ビジョナリー・カンパニー』(日経BP)に出てくる比喩なのだが、言い得て妙だ。

たしかに個人的カリスマに依存しすぎた経営者は、社員からいつも時刻を尋ねられ、その都度、正確無比な時刻を告げ、社内にいなくてはならない経営者になってしまう。「社長すご~い!」と賞賛を浴びるだろうが、社員は自分で今の時刻を知る工夫をしなくなる。

優れた時計を作る名人とは、自分に時刻を尋ねなくても良い方法を考案する。
それは、「自分以外のあの人に聞け」と言うのではなく、「あれを見ろ」と時計を指さす。そして一度だけ時計の見方を教えておけば今後、社員は時計によって今の時刻を知ることができる。

「私に聞くな、あれを見ろ」という「あれ」を作るのが優れた社長なのだ。
それは経営理念かも知れない。方針書かも知れないしマニュアルなのかも知れない。先輩社員の動きが「あれ」になるときもあるし、人事評価表が「あれ」になるときもあろう。TPOに応じて「あれ」は異なるが、

さて昨日の続きに入ろう。
『ビジョナリー・カンパニー』の中にはスタート段階で完全につまずいた会社も少なくない。むしろ「早熟な成功はマイナスになることだってあるかも知れない」と書いたが、どんな世界にも例外はある。

ジョンソン&ジョンソンは1886年の設立で、手術着や絆創膏の製造を事業とした。初年度末には14人の従業員となり、2年目には125人、8年目には400人という規模になっていた。
1850年に設立された小荷物運送業のアメリカン・エキスプレスも設立当初から収益性が高く、比較的早い段階で金融サービス事業に参入したことが現在の企業基盤づくりに役だっている。
マリオットホテルにしても最初のレストラン事業で成功したことが、後のホテル事業参入に結びついている。

しかし、こと『ビジョナリー・カンパニー』に限ってみるとこうした早熟企業は少数派で、残りの企業の大半はスタート段階で大きくつまずいているのだ。

昨日は、3M、モトローラ、プロクター&ギャンブルの例をご紹介したが、もう少々見てみよう。

ウォルマート

1945年、サム・ウォルトンが小さな雑貨のFC店に加盟したのがスタート。最初は店数を増やすつもりはまったくなかった。開業5年目でFC契約が切れ、やむなく自社店舗で開業。17年後の1962年に作った大型安売り店がヒットしたことが、その後、大飛躍をとげるきっかけとなった。

ボーイング

設立者のボーイング氏が1915年、35才の時材木商から飛行機製造に転身した。最初の航空機は海軍のテストで不合格となり、二番目のモデルも50機売れたがその後、契約が取れなかった。
4年目の1919年から20年にかけて経営危機に陥り、当時としては多額の30万ドルの赤字決算を出すも、個人資金の投入と家具・モーターボートの製造で生き延びた。

ウォルト・ディズニー

映画会社の就職に失敗したウォルトは、1923年、自営業という格好でアニメ制作を開始。すでにこの時代、アニメ分野は競合が多く、ほぼ最後発のデビューだった。最初のころの作品はヒットせず、ようやく経費が出る程度の成功にしか過ぎなかった。1928年、ミッキーマウスを発表してから今のディズニーにつながった。

昨日と今日、2回に分けてお届けしたこの話を、「昔はみんな小さかった」という懐古談にするのだけではもったいない。
設立の初期段階での成功は不要であることはわかったとして、何が成功の本質だったのかはこの二日間、言及していない。

それは明日以降に。