ロナウジーニョやデコなどのスーパースターを擁するバルセロナの優雅なサッカーを堪能した今回のFIFA クラブ ワールドカップ。
決勝を見終わったオシム日本代表監督は、「美しいだけでは勝てない」とバルセロナに厳しいコメントを残したが、私は純粋に美しいサッカーを楽しむことができた。
それにしても今回の大会は、10代選手の活躍が目立った。そういえばフィギュアGP(ロシア)でも10代選手が上位を占めていた。
スポーツの世界で大成功する選手の多くが比較的早熟であり、なおかつ選手寿命も長いようだ。
10代でひとかどの成功を収めておかないと、その後、大成しない可能性が高いのだ。
だがそれはスポーツの話。
会社経営に早熟の天才は不要だ。むしろ、早すぎる成功は害悪になる可能性だって持っているのかもしれないのだ。
『ビジョナリー・カンパニー』(日経BP社)を読んでいると、今事業がうまくいっていないとしても、それは「まったく問題ない」という気にさせてくれる。いや、それどころか、多少の苦境にある方が、すばらしい未来を約束してくれているような気にすらさせてくれる。
『ジョナリー・カンパニー』に選ばれた18社の条件とは、
1.創業者が世代交代している
2.設立が1950年(昭和25年)以前である
3.創業時の製品がライフサイクルを終えている
4.業界で卓越した企業(業績だけでなく)
5.同業他社の間で広く注目と尊敬を集めている企業
6.世界に対して大きなインパクトを与えてきた企業
である。
実際に選ばれた栄えある18社と、その「比較対象企業」は次の通り。
ビジョナリー・カンパニー社名(設立年) 業種 比較対象企業名
・シティコープ(1812年) 金融 チェースマンハッタン
・プロクター&ギャンブル(1837年)雑貨 コルゲート
・フィリップモリス(1847年) 煙草 RJレイノルズ
・アメリカンエキスプレス(1850年)輸送 ウエルズファーゴ
・ジョンソン&ジョンソン(1886年)雑貨 ブリストルマイヤー
・メルク(1891年) 薬品 ファイザー
・ゼネラルエレクトリック(1892年)家電 ウエスチングハウス
・ノードストローム(1901年) 百貨店 メルビル
・3M(1902年) 製造 ノートン
・フォード(1903年) 自動車 GM
・IBM(1911年) コンピュータ バローズ
・ボーイング(1915年) 飛行機 マクダネルダグラス
・ウォルトディズニー(1923年) エンタ コロンビア
・マリオット(1927年) ホテル ハワードジョンソン
・モトローラ(1928年) 通信 ゼニス
・ヒューレットパッカード(1938年)製造 TI
・ソニー(1945年) 製造 ケンウッド
・ウォルマート(1945年) DS エームズ
同著によれば、「ビジョナリー・カンパニーには、具体的な構想をまったく持たずに設立したものもあり、スタートで完全につまずいたものも少なくない」としてたくさんの企業の実例をあげている。私はこうしたビジョナリーカンパニーたちの生い立ちをみていると、ものすごく勇気づけられる思いがするのだ。
私が印象に残ったビジョナリーカンパニーの生い立ちを何社か紹介してみよう。詳しくお読みになりたい方は著作をお読みになると良い。
下手な啓蒙書を読んでいるよりやる気を刺激されること請け合いだ。
『ビジョナリー・カンパニー』(日経BP)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4822740315
3M
1902年設立当時の事業は、鉱山の砥石車メーカーに研磨剤原料を販売する仕事。自らも鉱山開発を行ったが、1トンほどの販売をした時点で販路がなくなり、出資者の個人資金を追加投入し、生き延びた。新しい出資者の助力を得て、サンドペーパー事業に乗り出してから初めて軌道にのった。だが、創業社長は最初の11年間、まともに役員報酬を取れなかったという。
モトローラ
1928年に設立された時は、米国最大の小売業シアーズ社のラジオ修理業だったが、不況による業績不振で二年目には倒産の危機に瀕した。設立三年目でカーラジオの製品化を思いつき大ヒット。4年目から黒字化し、その後の成長路線が始まる。
プロクター&ギャンブル
1837年に設立された当初は、ろうそくと石鹸を作っていた。成長は遅く、15年目でようやく小さな事務所兼工場を脱出できたが、同じ町内に同業者が18社もあった。
そのほか、スタートダッシュで成功した会社など一社もない。早熟であることは企業経営にはまったく必要ないのだ。
<続く予定>