小学生になる息子とデパートに買い物に出かけたお父さん。品定めをしていると、息子が公衆電話のところでしゃがんでいる。
「気分でも悪いのか」と思って駆けよってみたら、「お父さん、これが落ちていたよ」と一万円札を見せた。どうやら拾ったらしい。
ふたり揃って周囲を見回したが、誰も見ていないようだ。
「お父さん、交番に届けようと」と息子。お父さんは、「わかった。今から行こう。でもここはデパートなので交番ではなく落とし物を届ける所へ行こう」と出かけた。
書類を書いて一切の謝礼の権利をも放棄して買い物を続けたこの親子。
後日、この話を聞かされた私は、この人に「なぜそのようにしたのですか?」と聞いてみた。すると予期しない答えが返ってきたのだ。
「武沢さん、もしうちの息子に拾ったお金で得する気分を味わわせるようなことがあったらかえって不幸でしょう。本当にツイている人はお金を拾っても着服しないと思うし、謝礼も受け取らないものだと思いますよ」
う~ん、この人は立派だ。
息子が5千円拾って交番へ届けたが誰も落とし主が現れなかったので、そのお金でゲームを買って楽しんだ私とは大いに違う。
そういえば、
・財布を拾う
・万馬券を当てる
・パチンコで大儲けする
などはよほどお金にツキのない人間に起こりうることだと『ツキの大原則』(西田文郎著、現代書林)に書いてあった。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4774503851/
アメリカやアジアで大活躍しているある日本人経営者もツキに関しては独特の哲学をもっておられる。金銭的ツキを仕事と混同しないのだ。
その友人が最近、香港の会社に出資した。その金額は数百万円。
会社の業務内容はさておき、その資金の出所をきいてビックリ。なんとマカオのカジノで稼いできたというのだ。中国人が大好きなバカラで。
バカラとは、「大」か「小」かを当てるだけのいたって単純かつ単調なカードゲームのこと。そのくり返しだけで数百万円稼いだというからきっとコツがあるに違いない。そのあたりを聞いてみるとこんな答えを返してくれた。
「ラスベガスで稼ぐより簡単なことですよ。だってディーラーが鍛えられていないから、ある程度手玉に取れるのです」と前置きし、
「ツイている人に乗り、曲がっている人の逆をやる」
たったそれだけだと。
バカラの場合、ディーラー以外の数人の人達で行う。その中には、ツイている人もいれば、その逆に反対ばかりやってしまう人がいる。
調子の良いひとは連勝し、悪い人は連敗する。「大」か「小」かという判断を自分の直感に頼るのではなく、他のゲーマーを観察することで判断材料にするというものだ。
そして自分の方にまで好調のリズムが乗りうつってきたとき、大きく賭けて大きく稼ぐ。このとき、金銭感覚をマヒさせてしまわないことだ。目的は遊ぶことなのか、勝つことなのかをよくわきまえないと、最後にはゼロにしてしまう。好調の潮が引いたら休むのだ。
ドリンクを飲みながらショーでも観ることによって脳をリフレッシュさせ、勘を取り戻す。
こうして元金数万円で始めたバカラゲームは百倍に膨らんだという。
大切なのは、カジノで稼いだツキで本業のツキまでもって行かれないことだとか。だから、そのお金をきれいさっぱり忘れることが大切だ。
従って知人の会社に投資し(もちろん有望な事業だが)、儲けたお金のことを忘れてしまう。
本業以外のことで儲かった余韻に浸っていると、本業がダメになる。
ツキとはなにか、それは私たちが一見幸運だと思うことをありがたがらないことだし、不運に思えることを幸運につなげるしたたかさを忘れないことだ。