「成長の限界」なんて言葉を信じてはならない。本来、「成長は止まらない」ものだ。
心が革新的である限り、人間に「成長の限界」なんかやってこない。
人も会社も同じことを同じようなやり方で、同じようなマインドで続けるから成長が止まる。
マインドを変えることなく目先の仕事だけを変えてみたところで「成長の限界」はおろか、そもそも成長すら始まらないのである。
「成長の限界」は心の停滞から始まると言ってよい。
文藝春秋10月臨時増刊号の特集「葛飾北斎、享年九十」(小林 忠氏著、学習院大学教授・千葉市美術館館長)による北斎の生き様から強く感じ入るものがあった。まさに、圧巻の人生を送った北斎なのである。
どちらかというと広重ファンだった私だが、この特集を読んで俄然、北斎が好きになった。芸術好きや北斎ファンはもちろん、そうでない方にも是非一読をおすすめしたい。
以下、同特集の内容をもとに私の心を強く打った北斎の生き様について考えてみたい。
葛飾北斎(1760年~1849年)は、江戸時代の浮世絵師である。
北斎の功績は海外で特に評価が高く、1999年雑誌『ライフ』の特集、「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」に日本人でただ一人、ランクインした。
また北斎は、人生50年時代の江戸時代にあって、九十までの長寿を保った奇跡の人でもある。人生80年時代の今日に単純換算すれば144才の長寿者ということになる。だが、長寿だから彼が凄いのではなく、老境にいたれば到るほどに迫力を増す、彼の執念が凄いのだ。
絶命する直前、北斎は大きくため息をつきこんな言葉を残した。
「天よ、私にあと十年の命を長らえさせてくれれば・・・」しばらくたってからまた、
「せめて五年の命を保たせてくれれば、真正の画工になることが出来たろうに」
との言葉を継いだという。
ゴッホもビックリし、とりこになったという北斎の大胆な画法は、モネや音楽家ドビッシーなどヨーロッパの芸術家にも多大な影響を与えた。
とりわけ彼が70才代で完成させた版画シリーズの「富嶽三十六景」は、北斎の地位と名声を確固たるものにした。
富嶽三十六景 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%B6%BD%E4%B8%89%E5%8D%81%E5%85%AD%E6%99%AF
そんな「富嶽三十六景」の成功で気をよくした北斎は、富士を主題にした「富嶽百景」も完成させた。
75才という老境に達した北斎がこの「富嶽百景」の奥付に書いた文章を現代語訳するとこうなる。
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私は六歳のころから物の形状を写す癖があった。五十歳の頃から様々な絵を描いてきたが、思えば七十歳以前に描いたものはみな、取るに足らないものだった。七十三歳になってようやく鳥や動物、虫、骨の骨格、あるいは草や木の生ずる有り様を悟ることが出来るようになった。したがって八十歳になればますます絵が上達し、九十歳には奥義を極め、百歳には神妙の域に達することだろう。百十歳にもなれば、「一点一格」活けるがごとくに描けるようになるに違いない。願わくば読者の皆様には長生きをされ、私のいっていることが偽りでないことをその目でご覧下さいますように。
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何たるすごい文章。
それに自分の寿命ではなく、読者の寿命を心配しているところが彼の真骨頂ともいえる。
<明日に続く>