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後継者選抜の詩偈(しいげ)

私が学生のころ、紅白歌合戦をみていた母が嘆かわしそうに言った。「最近の紅白は、やれグループサウンドだ、フォークソングだ、ロックだと訳が分からん。昔は流行歌と演歌と民謡と童謡しかなかったのになあ」

今、私からみて息子たちが持っている 音楽 CD が分からない。レゲエ、ヒップホップ、ラップなど、私の世代には存在しなかったものが今の流行らしい。「なんだ、それ。聞いたこともないぞ」「おやじ、それがレゲエの神様や。聞いてみるかい?」「人気のやつを 5曲ほど見つくろってくれよ」

聞いてみると案外悪くない。

考えてみれば、移ろいゆくものは音楽だけではない。最近の子どもたちは昔話の「桃太郎」や「金太郎」「かぐや姫」などを知らない子が増えているそうだし、食べ物や服装の好みも大きく変わってきた。すべてのものが常ならぬ「諸行無常」といわれるゆえんである。

根底にあるものは、自分の主張を簡潔かつオシャレに表現したいという人間心理だろう。その気持ちだけは変わらないようだ。

七世紀から八世紀にかけての中国でこんな話がある。

当時、弘忍(ぐにん)禅師のもとには七百人を超える弟子達が集まっていた。ある日、師は後継者を決定するため「悟りの境地を示した詩偈(しいげ)を作れ」と弟子達に命じた。今風にいえば、作文大会のようなものだが、条件がある。詩偈(しいげ)で作れ、ということはラップで表現せよ、というに近い。悟りの境地を韻を踏んだ作文にせよ、というわけである。

誰もが認める本命の男がいた。その名を神秀上座(じんしゅう じょうざ)と言った。頭脳明晰、人徳高潔、人望も厚かった。

その夜、ほかの弟子達は集まって相談した。

「自分たちが詩偈を作って提出しても意味はない。それよりも、神秀上座(じんしゅう・じょうざ)が後継者となるべき方なので、我々はあえて何も提出しないでおこう」

ところが、肝心の神秀上座も自分の詩偈に自信がなかった。こんな作品を作ったのだ。

「身はこれ菩提樹 心は明鏡の台の如し 時々に勤めて払拭(ほっしき)せよ 塵埃(じんあい)を惹(ひ)かしむることなかれ」

意味するところは、身は菩提(悟り)を宿す樹であり、心は曇りなき鏡のようなものである。煩悩の塵(ちり)や埃(あか)を常に払い清めるために、決して修行を怠ってはならない。修行者の志を詩にした作品である。

それを和尚がどう評価するだろうか。自信がない神秀上座は、深夜、こっそりと和尚が住む建物の廊下にこの詩偈を書きつけた。これをみて、和尚が喜んでくれれば後継者となるだろうが、まだダメだといわれれば後継者になるだけの力がなかったというわけだ、と神秀上座は開き直った。

翌朝、その詩偈を見た和尚は皆のまえで大絶賛した。

「この詩偈を皆に与えて唱えてもらうことにしよう。この詩偈のような気持ちで修行すれば、決して悪道に堕することはない。この詩偈に沿って修行すれば、大利益があり、この詩偈を読めばすなわち悟りを開くことになるであろう」

他の弟子達もみな大喜びした。これで後継者は決まった、というわけである。しかし、その日の深夜、神秀上座は和尚に呼びだされた。

「あの詩偈はお前の作品か?」

「はい、そうでございます。決して後継者に選ばれたくて作ったものではありません。それよりも和尚、どうかこの私に悟りの智慧があるか否かをお知らせくださいませ」

すると和尚は意外なことを言いはじめた。

「おまえが、あの詩偈を作ったというのなら、残念だが本質がまだ分かっていないというべきである。おまえはまだ門の外にいて、いまだ門の内に入っていない。この程度の認識で修行を積んだところで、悟りにいたることはできないだろ。別の詩偈を作って持って来なさい。その作品次第では、私の法衣を着せてあげることにもなるだろう」

神秀上座は深々とお辞儀をして部屋に戻った。自分が期待されているのはよく分かる。ただ、修行が浅く、また門の外にいると言われてしまった。その後、何日たっても詩偈を作ることはできなかった。

そんなある日、和尚の住む建物の廊下に子どものような下手くそな文字で詩偈が一品提出されていた。「誰だ」「誰だ」と修行僧たちは噂しあった。分かったことは、どうやら寺で下働きしている若者がその詩偈を提出したらしい。

<明日につづく>