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重慶と済南

それにしても今回のアジアカップサッカー、日本人として見るに見かねる異常なまでの日本バッシングは何なのだろう?

自国の応援や判官びいきはどこでもあることだ。だが、日本だけを目の敵にして、政治的プラカードを掲げたり、日の丸や君が代への大ブーイング、日本が勝った瞬間にグランドに投げ込まれるゴミなど、国際試合開催国の応援ぶりではない。
スポーツを観戦する、応援する人々のマナーが悪いという意味において、批判されて当然のことを中国はしている。強くかの国に抗議し、再発防止策を要求しなければ、誰も喜んで中国へは行かなくなるだろう。8/7(土)の決勝戦は、4年後に五輪が開催される北京だ。五輪ホスト国、ホストシティとしての応援マナーに注目したい。

しかし、今回のサッカー応援の醜態だけで中国という国や、中国人という国民に幻滅するのは早計だろう。まず、中国という国や、中国人という国民を総称でくくるには規模が大きすぎるようだ。

私は、重慶にも済南にも行ったことがあるが、そのとき、日本人だからといってバッシングを受けるようなことは一度もなかった。むしろ、どこへ行っても歓迎された思い出しかない。
それだけに、今回のサッカー応援の光景は、別の国、別の街のできごとのような違和感を覚える。

日本とビジネスを望む中国人、日本製品や日本という国にあこがれをもつ沿海部の中国人は多数いる。ビジネスの相談役やパートナーはそうした親日的中国人だ。親日派の常州市市長(50才位)と会食をともにした際も、彼は、部下が日本へ出張に行くことを心からうらやましがっていた。そうした中国人も少なくないということを知っておこう。そうしたひとびとは、重慶や済南での応援ぶりをみて、嘆き悲しんでいるに違いない。