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ある先生

自己規律ある人とは、役職や社歴、年令に関係なく組織の空気を一変できる人を言う、ということをお話ししたい。


昨夜の福岡講演の二次会にて。ビールを酌み交わしながら、楽しく交流した。
あるテーブルで私は、サラリーマン時代の体験談を聞かれた。たった一人の二代目社長の登場によって、その会社が音を立てて変わっていったお話しをしたのだが、隣でそれを聞いていたのは、ある高校の女性教師。

私の話が呼び水となってか、彼女からとても興味深い体験談を聞き出すことができた。彼女と学校の名誉のために少しだけ脚色した話だが、あらすじはこうだ。

彼女が赴任した学校は沈滞していた。荒れ果ててはいないものの、無気力な先生、生徒で満ちあふれていた。遅刻する、髪の毛を染める、タバコを吸う、授業中に堂々と寝ている・・・、そんな生徒がいても教えよう、直してやろうという気概がなく官僚化した先生たち。

「学校によっては、教育の現場ってこんなものなのか。でも年令も経験も浅い私ができることは限られている」と半ば彼女もあきらめかけていたという。

そんなある日、35才位の男性先生が赴任してきた。その先生は、時間を守る、規則を守るということの大切さを誰よりも熱心に生徒や他の先生に訴えた。訴えただけでなく、それを率先垂範し、守れない生徒に対して時には厳しく、時には優しくさとし、時には褒めたたえ、生徒たちに諄々と教えていった。そして一心不乱に良い学校づくり、良い生徒づくりという問題に格闘した。

やがて少しずつ、荒廃しかけていた学校の空気が変わり始めた。最初は成りゆきをみていた他の先生や、本気具合をみていた生徒の中から、「よし!やろう」という理解者と支援者が現れ始めたという。それからわずか二年、この学校は大変貌を遂げた。他校の先生や教育委員会が見学に来る学校になるまでに変わったという。

「金八先生や反町のような先生はテレビだけの話」と思っていた彼女の目の前で、それが現実となっていったのだ。

“組織はトップ次第で変わる”と信じている私は、「きっと校長先生か教頭先生が優れていたのでしょうね」と彼女に尋ねた。すると、意外にも答えはノーだ。「まったく任せっぱなしのノホホンとした校長・教頭なんです。むしろ最後まで何もしなかったに近いです。」

それを聞いた私は、「まるで幕末長州藩の殿様みたいだ」とつぶやいた。

そうか、そういうことだったのか。

『ビジョナリーカンパニー2 飛躍の法則』(日経BP社)の中で、自己規律ある人と仕事をせよ、と著者は訴えている。自己規律ある人とは、自分のことは自分でできる独立した個人のことだと、思っていたが、それだけでは弱いのかもしれない。

校風・社風を強くできる人でなければならない。しかもそれは、役職や経歴、社歴、性別や年令に関係なく、個人が持ち合わせている資質だ。

私たちはそうした「空気を変えることができる人物」を目指したいものだ。空気が変われば、やがて目の前の現実が変わってくるのである。