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論語と算盤より その3

今週は渋沢栄一シリーズをお届けしている。
渋沢の『論語と算盤』の中から印象的な箇所をいくつかご紹介して
るが、今日もその続き。

◇「人生は努力にあり。老年となく青年となく、勉強の心を失って
まえば、その人は到底進歩発達するものではない。余は平生、自ら
勉強家のつもりでいるが、実際一日といえども職務を怠るというこ
とをせぬ。その勉強もただ一時の勉強では充分ではない。終身勉強
してはじめて満足するものである」

武沢注:終身勉強。勉強しやすい環境が今は整っている。
最近は「スタディサプリ」などで学生時代の授業をスマホ学習
できるようになり喜ばしいことだと思う。
こうした学習アプリのメニューに古今東西の思想、哲学、宗教、
儒教などがないものかと探したことがあるが、今はまだなく、
書籍に頼るしかないようだ。

◇「自分は常に事業の経営に任じては、その仕事が国家に必要であ
て、また道理に合するようにしていきたいと心がけてきた。たとい
その事業が微々たるものであろうとも、自分の利益は少額であると
しても、国家必要の事業を合理的に経営すれば、心は常に楽しんで
事に任じられる。ゆえに余は論語をもって商売上の【バイブル】と
なし、孔子の道以外には一歩も出まいと努めてきた。一個人に利益
ある仕事よりも、より多数社会を益して行くのでなければならぬと
思い、多数社会に利益を与えるには、その事業が堅固に発達して繁
昌して行かなくてはならぬということを常に心していた」

武沢注:ソーシャルアントレプレナーなんて洒落た言葉を使わなく
も明治時代から社会性に目ざめた起業家たちはたくさんいた。
その筆頭格が渋沢だろう。

◇「世の中には悪運が強くて成功したかのごとくに見える人がない
もない。しかし人を見るに、単に成功とか失敗とかを標準とするの
が根本的誤りではあるまいか。それらはたた身に残る糟粕(そうは
く、酒かすのこと)のようなものである。それよりももっと大切な
天地間の道理を見ていない。人は人たるの務めを完うすることを心
がけ、自己の責務を果たし行いて、もって安んずることに心がけね
ばならぬ」

武沢注:「成敗は身に残る糟粕」とは渋沢らしい表現。成功失敗や
貴といった目に見えるもの以外のどっしりとした価値観をもつ
必要がある。渋沢の場合、それが「論語」だった。

<あす、渋沢シリーズ最終回>