★テーマ別★

アニメブームのルーツ

落語と講談、よく似ているが実は違う。
落語は会話を中心に話をすすめ、何らかのオチがある話芸をいう。目的は聞き手を笑わせることである。(怪談話や人情話もあるが)一方の講談は、「講談師、見てきたようなウソをつき」と言われるように、誰かの武勇伝をあたかも見てきたかのようにありありと再現してみせる話芸である。目的は聞き手をワクワクさせることである。

今から120年ほど前の1890年代(明治半ば)、講談師が語ることを速記者が記録し、本にすることが流行っていた。いわゆる「速記講談」である。
旅回りの講談師・山田阿鉄は、速記した講談だけでなく、講談話を最初から本にして売るアイデアを思いつく。さっそく地元大阪の主要な出版元に企画を持ち込むが、「誰が買うねん?」とまったく相手にされなかった。

あきらめかけていたとき、一人だけ企画に乗ってくれる男があらわれた。当時、「立川文明堂」という小さな出版社を興したばかりの立川熊次郎(たつかわ くまじろう、1878年 – 1932年、兵庫県姫路市出身)だった。

ふたりは話し合い、装丁は四六版のクロス装、縦12.5cm、横9cm、定価は一部25-30銭、実際の販売価格は10銭前後でいこうと決めた。
いまの貨幣価値でいえば、定価2,500円、売値1,000円前後の文庫本であるから決して安くはない。ほかの小説などとくらべても変わらない値段だ。一冊作るのにも600円程度かかったというから原価率も高い。

「講談を文字にし本で売る」
このアイデアは爆発的な大ヒットとなった。これが世に有名な「立川文庫」(たつかわぶんこ)シリーズで、明治後半から大正にかけての子どもたちが読みあさった。読み終わった本は古書店にもちこみ、追加で3銭(300円)出すと新刊が1冊買えたのでむさぼるにように読まれた。少年を対象とした物語が多く、真田幸村や猿飛佐助、霧隠才蔵などの忍者ものや戦国武将、剣豪、明治の軍人などが主人公だった。
この「立川文庫」は合計200本に及ぶ人気シリーズになった。

さすがに大正も末期になると「立川文庫」ブームも下火になるが、ライバル出版社の動向にも影響をあたえた。
講談社が発刊した『講談倶楽部』でも書き講談を多く取り入れたし、後に同社の看板雑誌に育つ『キング』や『少年倶楽部』の作家たちにも講談話の奔放な想像力が受けつがれた。

いまでも『ONE PIECE』『キングダム』『宇宙兄弟』などの人気作品は子どもの創造力を大いにかきたててくれる。
こうした日本が誇るマンガやアニメ文化もルーツをたどれば明治時代の「書き講談」と「立川文庫」にあるのではなかろうか。