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媚態×意気地×諦め

●昨日号は「粋と野暮」について公衆道徳的な面から述べてみたが、「粋を説明しないといけない時代なんだ」というコメントが届いた。
たしかに公衆道徳を社長向けメルマガで書かねばならぬほど、時代は「野暮」に振れているが、「粋な人」というのは今も昔も希少価値があるようだ。

●母が彼を懐妊中に岡倉天心と恋におちたことから、天心を心の父として生きた哲学者・九鬼周造。

氏が昭和五年に著した『「いき」の構造』(九鬼周造、講談社学術文庫)は今なお版を重ねている古典的名著。お読みになった方も多いと思う。

●私も20年前に読んでみたが、難解さゆえにあえなく撃沈した。リベンジとばかり10年前にも読んだが、このとき少しだけ分かった。
5年前に読んだときには1/3ほど分かり、今年読んでみたら半分ぐらい分かった。

読書がすすむことと「いき」になれることは別なのだが、その都度新しい発見があって宝島で財宝を探しているような気分になれる一冊である。

●九鬼によれば、「いき」の構造は「媚態」と「意気地」と「諦め」の三つの要素があるという。

なかでもその基本は異性に対する「媚態」であるとしているのが九鬼の真骨頂である。

少し抜き書きしてみたい。

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まず内包的見地にあって、「いき」の第一の徴表は異性に対する「媚態」である。異性との関係が「いき」の原本的存在を形成していることは、「いきごと」が「いろごと」を意味するのでもわかる。
「いきな話」といえば、異性との交渉に関する話を意味している。なお「いきな話」とか「いきな事」とかいううちには、その異性との交渉が尋常の交渉でないことを含んでいる。近松秋江(ちかまつしゅうこう)の『意気なこと』という短篇小説は「女を囲う」ことに関している。そうして異性間の尋常ならざる交渉は媚態(びたい)の皆無を前提としては成立を想像することができない。すなわち「いきな事」の必然的制約は何らかの意味の媚態である。しからば媚態とは何であるか。
媚態とは、(以下略)
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●どうして「いき」の基本が媚態なのか悩ましいところではあるが、「いき」のうちにみられる「なまめかしさ」「つやっぽさ」「色気」などを除いたものが「上品」だと九鬼。
下品よりは上品がよいが、上品よりは「いき」がよい。

●「いき」の第二の基本は「意気」すなわち「意気地」であるという。
再び九鬼の文章。
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意識現象としての存在様態である「いき」のうちには、江戸文化の道徳的理想が鮮やかに反映されている。江戸児(えどっこ)の気概が契機として含まれている。野暮と化物(ばけもの)とは箱根より東に住まぬことを生粋(きっすい)の江戸児は誇りとした。
「江戸の花」には、命をも惜しまない町火消(まちびけし)、鳶者(とびのもの)は寒中でも白足袋はだし、法被(はっぴ)一枚の「男伊達(おとこだて)」を貴んだ。「いき」には、「江戸の意気張り」「辰巳(たつみ)の侠骨(きょうこつ)」がなければならない。
「いなせ」「いさみ」「伝法(でんぽう)」などに共通な犯すべからざる気品・気格がなければならない。

(中略)

「いき」のうちには溌剌(はつらつ)として武士道の理想が生きている。「武士は食わねど高楊枝(たかようじ)」の心が、やがて江戸者の「宵越(よいごし)の銭を持たぬ」誇りとなった。
「金銀は卑しきものとて手にも触れず、仮初(かりそめ)にも物の値段を知らず、泣言を言はず、まことに公家大名の息女の如し」とは江戸の太夫の讃美であった。理想主義の生んだ「意気地」によって媚態が霊化されていることが「いき」の特色である。
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●当時の江戸っ子が愛した気っ風の良さやプライドの高さはこの「意気」や「意気地」を基にしたものだろう。

では最後の「諦め」についてはどうか。九鬼はこういう。

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「いき」の第三の徴表は「諦め」である。運命に対する知見に基づいて執着を離脱した無関心である。「いき」は垢抜(あかぬけ)がして
いなくてはならぬ。あっさり、すっきり、瀟洒(しょうしゃ)たる心持でなくてはならぬ。この解脱は何によって生じたのであろうか。
(後略)
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●さらに九鬼は「いき」とその他の概念を、「人証的一般性に基づくもの」と「異性的特殊性に基づくもの」に分けて論証している。それぞれの概念を「対自的(価値的)」なものと「対他的(非価値的)」に分け、さらに「有価値的」「反価値的」「積極的」と「消極的」とに分けて、合計8つの概念を整理した。

それによれば、

・上品=「人証的一般性」×「対自的」×「有価値的」
・下品=「人証的一般性」×「対自的」×「反価値的」
・派手=「人証的一般性」×「対他的」×「積極的」
・地味=「人証的一般性」×「対他的」×「消極的」
・意気=「異性的特殊性」×「対自的」×「有価値的」=いき
・野暮=「異性的特殊性」×「対自的」×「反価値的」
・甘味=「異性的特殊性」×「対他的」×「積極的」
・渋味=「異性的特殊性」×「対他的」×「消極的」

となる。

●さてこの本、素晴らしい本なのだろうが惜しむらくは難解である。
注釈が付けられているのだが、そちらも難解なのだ。この本がすらすら理解できるころには、「媚態」も「意気地」も失って「諦め」の境地だけが残っているのではなかろうか。

★「いき」の構造 (講談社学術文庫) 九鬼 周造 (著)
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