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平民宰相

●東京駅丸の内駅舎が復元工事に入り、タクシー乗降がかなり南に移動して不便になった。

だが、その東京駅丸の内南口に歴史的な場所があるとも聞いた。今度そこを訪れてみようと思っている。

●それは、1921年(大正10年)11月4日に起きた原敬暗殺事件の場所である。
当時の首相・原敬が、鉄道省・山手線大塚駅職員によって暗殺(刺殺)された場所にプレートと印がある。いままで全然気づかずにその近くを通りすぎていたはずで、今度よく確認してみようと思う。

★原敬暗殺事件
→ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E6%95%AC%E6%9A%97%E6%AE%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6

●かつて、「文藝春秋」で台湾の元総統・李登輝氏と浅田次郎氏が対談したことがある。テーマは「武士道と愛国心について」。

その対談内容が『すべての人生について』(浅田次郎、幻冬舎文庫)におさめられているが、そのなかで李登輝氏は、明治の政治家を絶讃している。
とりわけ平民宰相といわれた原敬(はら たかし)について次のように賛辞をおくっているのだ。

「彼ら明治人というのは非常にパワフル。最近、驚いたのは平民宰相、原敬先生の素晴らしさですよ。彼の波瀾万丈の一生には”人間とは何ぞや”という問題のすべてが入っている。戊辰戦争で賊軍になった岩手南部藩の家老の子に生まれ、刻苦勉励して司法省法学校に入るが、堕落した薩長の学校幹部に反発して放校処分を受ける。そこで新聞記者になり、藩閥政府と戦うんだ。しかし、当時の政府は大らかだった。
逆にその見識が認められて外務省に入る。その後、政界に出て、紆余曲折の末、総理にまでなる道筋は、映画なんかよりずっと面白かった。
(中略)
温室育ちの人間にはたいしたことはできない。牢屋に入って、そこでしこたまいじめられて、それをバネにして奮起するような人間のほうが強い。そういうファクターがあるから最近の韓国映画が受けているのだと思う。
でも私に言わせれば、原先生の生涯は、まさにそういったファクターが全部入ったものじゃないかね。こういった明治人の一生を映画にしたほうがきっと面白いはずだ。」

●第19代総理大臣の原敬氏を人々が”平民宰相”と呼ぶようになったのはなぜか?

それは原以前の歴代総理大臣の出身藩と爵位を見ると一目瞭然だろう。

・第 1代 伊藤博文   長州(山口県)   伯爵
・第 2代 黒田清隆   薩摩(鹿児島県)  伯爵
・第 3代 山縣有朋   長州(山口県)   伯爵
・第 4代 松方正義   薩摩(鹿児島県)  伯爵
・第 5代 伊藤博文   長州(山口県)   伯爵
・第 6代 松方正義   薩摩(鹿児島県)  伯爵
・第 7代 伊藤博文   長州(山口県)   伯爵
・第 8代 大隈重信   佐賀(佐賀県)   伯爵
・第 9代 山縣有朋   長州(山口県)   伯爵
・第10代 伊藤博文   長州(山口県)   伯爵
・第11代 桂 太郎   長州(山口県)   伯爵
・第12代 西園寺公望  公家(京都府)   公爵
・第13代 桂 太郎   長州(山口県)   伯爵
・第14代 西園寺公望  公家(京都府)   公爵
・第15代 桂 太郎   長州(山口県)   侯爵
・第16代 山本権兵衛  薩摩(鹿児島県)  伯爵
・第17代 大隈重信   佐賀(佐賀県)   伯爵
・第18代 寺内正毅   長州(山口県)   伯爵

・第19代 原  敬   南部(岩手県)   なし

総理大臣職を薩長がほぼ独占した18代までの総理大臣には皆、爵位があった。
徳川寄りの藩出身者として総理になったのは原が初めてである。当然、そんな原にも爵位授与の話が持ち上がったが、それを強く拒絶している。それだけでなく、夫人と息子にあてた遺書の封筒に「死亡せば即刻開披すベし」と題してこう書いた。(実際の中味とは順不同)

1.死去の際、位階勳等の陞叙(しょうじょ)は、余の絶対に好まざる所なれば、死去せば、即刻発表すべし。

解説
すぐ死亡発表しないと、爵位の生前授爵をされかねないので、それを防ぐため。あくまで「死しては、私人である」という日頃の考えを通すためだった。

2.死亡広告は、左の趣旨にて可なり。

父原敬何日何時死去致侯に付、何日何時郷里盛岡に於て葬儀相営み侯。この広告の外、別段御通知は不致侯。
生花、造花、放鳥、香奠等一切の御贈与は、遺旨に依り勝手ながら御断致候。
年  月  日                 原 貢

解説
すぐに死亡発表できるよう、わざわざ死亡広告記事まで作り、息子の名前で出すように指示している。しかも花や香典を遠慮し、告知も不要と言っている。

3.東京にては何等の式を営むに及ばず。遺骸は、盛岡に送って大慈寺に埋葬すべし。

解説
東京で葬儀するのを防ぐことで国葬とか党葬とかにならないようにした。

4.葬儀委員長には、高橋光威氏を頼むべし。高橋氏差支の場合には、山田敬徳氏を頼むべし。両氏共差支のときは、誰か適当に選定すべし。

解説
要は、秘書や書記官に葬儀をまかせ、偉い人に頼んではダメだと念を押している。

ここまで徹底して薩長の藩閥政治と戦った原敬。平民であることが誇りであり、それが政治ポリシーというより人生のテーマだったのかもしれない。

●遺憾ながら原敬については詳しくないので、amazonでさっそくこの一冊を入手してみた。

★平民宰相 原敬伝説(佐高 信著、角川学芸出版)
→ http://e-comon.co.jp/pv.php?lid=2955