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甲子園余話

●夏の高校野球が終わり、それと一緒に夏まで終わってしまった感じがする。
4041校の頂点に立った中京大中京高校の選手諸君だけがこの夏、一度も負けることなく選手生活を終える。

●甲子園目指してエントリーした高校の中で、中京大中京高校以外の4040校はすべて負けた。そして、その瞬間に世代交代がはじまっている。
すでに二年生や一年生によるチームに編成されて練習が始まっているわけだが、一試合でも多く今のメンバーで野球を続けたければ、勝つしかなかった。健気(けなげ)な高校生がそんな過酷な条件のもとで試合するわけだから、見ているこちらが感動しないわけがない。

●私は、まるで敗戦投手のように号泣していた堂林投手(中京)の姿が印象的だった。
その横でキャプテンが明るく笑って堂林君を励ましていたが、彼の笑顔も一瞬で泣き出しそうな顔になっていた。
身体はすでに立派な大人だが、まだ16才や17才の青年だ。満員の甲子園全体が日本文理(新潟)を応援した9回の表ツーアウト。
中京大中京高校の選手は、まるで魔物を前にしておびえる子供のようだった。いや、ゴリアテを前にしたダビデと言うべきか。

●ゲームセットのサイレンと同時に、甲子園全体を敵にまわした圧力からようやく解放された安堵感。それと同時に、この春、報徳学園戦で9回ツーアウトから逆転負けを喫した堂林投手のリベンジが、この夏もかなわなかった口惜しさ。それらが入り交じった複雑な涙だったに違いない。最後の校歌を聞きながらも、堂林君は内心で優勝の喜びなどなかったのではなかろうか。

●1988年にPL学園から中日ドラゴンズ入りした立浪和義選手は、たしか一年目のシーズンが終わったときに、「プロって結構負けるのですね」と語っている。

●一年で144試合して80勝すれば優勝できる確率が高い。つまり64敗もするわけだ。80勝64敗という成績は勝率5割5分5厘。高校野球ではそんな勝率では決して甲子園に出ることはできない。

●私はその立浪選手のコメントを聞いたとき、最初は「プロって甘いんだな。よっぽど高校野球の方が厳しい」と思ったが、待てよと考えた。

●一年間戦って勝率で一分、一厘の差を争うプロの世界の厳しさは、一敗もできないトーナメントとはまた別次元の厳しさがあるはずだ。
まず一年通して働き続ける体力と気力。怪我や故障をするぎりぎりのところまで鍛え上げる日々の練習。成績が悪ければ容赦なく他の選手と交代させられるチーム内のポジション争い。それらにすべて勝ちあがってきた選手だけが一軍ベンチに入り、さらにその中から9人だけが先発出場するチャンスを与えられる。

●さて、今夜のナゴヤドーム(中日-巨人戦)のチケットが手に入った。高校野球とはまた別の意味で、勝負の厳しさを実感できる試合をみたいものである。