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2000号を一人で記念して

●今日がちょうど創刊2000号になる。

4年前の1,000号のときはもうすこし大騒ぎしたが、2,000号は今朝気づいたような次第だ。

9月は本の原稿にかかりっきりになったせいもあるが、最近ますます、「私の仕事は書くことだ」と思うようになってきた。書く時間をもっと増やしたいと思っている。

●そうした私にとって、偉人や文豪たちが実際に使った書斎や机、原稿用紙、ペンや色鉛筆などの小物類をみることはワクワクすることのひとつ。見てはいけないものを見てしまった気分になれる。

●だから昨日の祝日を利用して書斎を幾つか見てくることにした。

まず9月22日(月)は、午後の新幹線で広島へ。ナイトゲームの広島-巨人戦を観て、お好み焼きを食べて就寝。

翌日の秋分の日は、朝から安芸の国の偉人・頼山陽(らい さんよう)の記念館を見物することにした。

●頼山陽といえば、吉田松陰も橋本左内も夢中になって読んだ「日本外史」(にほん がいし)の著者である。
「外史」という限り、時の政府がつくった公の歴史(「正史」という)ではなく、民間人がつくった歴史書である。
源氏・平氏から徳川にいたる武家の興亡を簡潔な漢文であらわした歴史書で、幕末から明治維新期にかけての若者が熱中したベストセラーだ。
何しろ、執筆に費やした年数は25年。文字通り彼のライフワークであり、この一冊で歴史に名を残したと言ってよい。

●頼山陽は歴史家であり、書家であり、画家であり、作詩家でもあった。いずれの才能も傑出していて、当時としては珍しいフリーランサーのような仕事をした。誰かに仕えることをしなかったのだ。

灘の銘酒「剣菱」のコピーライティングを行い、その謝礼に「剣菱」をもらっていたという酒好きとしても有名である。

●その頼山陽が脱藩した罪で幽閉されていたのが今の広島市袋町。
そこに山陽の書斎(再建されたもの)と記念館が建っているのだ。例によってたくさんの史料を買い込んできたので、いつか彼について書くことがあるかもしれない。

●頼山陽記念館を辞して、まだ半日あった。行列のできるお好み焼き店「へんくつや」でスペシャルと生ビールを楽しんだあとは、新大阪までの切符を買った。目的地は東大阪の「司馬遼太郎記念館」。

●新大阪から地下鉄、近鉄を乗り継いで「河内小阪」駅下車。徒歩12分で「司馬遼太郎記念館」着。

これが二度目の訪問になる。二年前に初めて訪れたときは一ファンとして見学したが、今回は書き手司馬遼太郎さんに触れたくてやってきた。

●入り口でチケットを買い(500円)、記念館までの通路を歩いていくと、司馬さんの書斎がみえる。実際に使っておられた当時のままになっているという。この場所、この椅子、この机、この書棚、この膝掛け毛布で数々の名作が生み出されたのかと思うと感慨深い。

●売店ではここでしか買えないグッズも売られていたが、書籍コーナーで私は店員さんに聞いてみた。

「司馬遼太郎さんがサラリーマン時代に本名(福田定一)で書いておられた現代小説はありますか?」

私はそんな昔の本は、もはや絶版で入手できないと思っていたら、あにはからんや、ここで簡単に買えてしまうとは。

司馬さんが新聞記者時代に書いたもので、30才のころの短編小説集がいくつもあった。むさぼるように読んだが、のちの司馬さんの片鱗はみられるものの、別人のような印象がある。
作者は作品で育つのだと思った。

★新広島市民球場 (カープは来年からここを使う)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%BA%83%E5%B3%B6%E5%B8%82%E6%B0%91%E7%90%83%E5%A0%B4

★頼山陽記念館
http://simoiti1329.web.infoseek.co.jp/junbi1/8.raisannyoukinenkan.htm

★司馬遼太郎記念館
http://www.shibazaidan.or.jp/

●帰宅するとちょうど夕食の時間になっていた。こんな週末ひとり旅もわるくない。