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威風堂堂

●盛り上がりに欠ける自民総裁選。自民党も、麻生フィーバーを期待していたのではないだろうか。
いつも5人揃っての仲良し演説会。あれで盛り上がれというのが失礼だろう。
石破さん(51)や、石原さん(51)あたりの世代がもっと力をつけないと政治は活性化しない。自民も民主も世代間闘争を国民にみせてもらいたいものだ。
麻生さん(68)や小沢さん(66)の世代で本当に国の構造を変えられるのかと、年令や健康問題が気になってしまう。

●ところで、日本人の政治家で初めて公式な場所で、英語によるスピーチをしたのは誰かご存知だろうか。
正式な記録が残っているのは、1872年(明治5年)1月23日の伊藤博文(当時31才)である。

●240年もの長きにわたって外国との国交を絶ってきた徳川幕府。

ついに明治維新によって国交を開き、欧米の文明を取り入れるにあたって、岩倉具視を団長とする「岩倉使節団」を米国・欧州あわせて14カ国に派遣した。当初は10ヶ月半の予定が1年9ヶ月にも及んだというから今では考えられない行程管理である。

この当時、維新政府は「廃藩置県」という大手術を終えたわずか4ヶ月後のことであり、いかにこの使節団に力を入れていたかが分かる。

●そのメンバーたるや、明治新政府の要人がずらりと並ぶ。

岩倉具視、大久保利通、伊藤博文、木戸孝允、大倉喜八郎(大倉財閥創始者)、団琢磨(三井財閥総帥)など維新の立役者を中心にした総勢47名。留学生を含めると107名に及んだ。

●「アジアの小さい国からリーダーたちが船でやってくる」そう聞いて、最初の寄港地サンフランシスコの港にはあふれんばかりの見物人がやってきた。

アジア人全体を有色人種として見下してはいたが、「サムライ」というのは一度見てみたかった。
ちょんまげはしているのか、刀は帯に差しているのか、本当に切腹するのか、見てみたかったのだと思う。

●やがて船のタラップから降りてきた近代日本人の一行をはじめてみたアメリカ人たちは、みな陶然とした。
「威風堂堂」たる日本人の姿をはじめてみたとき、白人以外にも尊敬できる人種がいたことに彼らは驚いた。

●歓迎式典では、やんやの喝采が送られたという。

「これがサムライなのか」「こんな威厳のある人間を見たことがない」とささやきあった。岩倉代表のあとに伊藤博文があいさつした。
それは、予期せぬことに英語だった。

●伊藤のスピーチの記録が残されているが、誇り高きサムライらしいあいさつをした。

「数百年の封建制度は、一個の弾丸も放たず、一滴の血も流さず、撤廃されました。このような大改革を世界の歴史においていずれの国が戦争なくして遂げ得たでありましょうか。わが国旗にある赤い丸は、もはや帝国をとざす封印の如く見えることなく、今まさに洋上に昇らんとする太陽を象徴するものであります。そしてその太陽はいまや、欧米文明の中天に向けて躍進しつつあるのです」

●「威風堂堂」たる姿だけでなく、この英語のスピーチにもアメリカ人たちは度肝を抜かれた。

スピーチ後、日本から帯同した書記官のひとりが「伊藤先生、ちょっと大風呂敷の広げすぎではありませんか」と進言した。
だが伊藤は、国交はこれくらいでいいんですと取り合わなかった。
「威風堂堂」は外観だけではなく中身も伴う必要があるが、こんな日本人がたくさん出てきてほしいと願うものである。

★参考:『誇り高き日本人』(泉三郎著、PHP研究所)