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ラーメン屋の責任

健啖家の私でもあきれるほどに胃袋が強い年長者はT社長だけかもしれない。
そんな氏の好物はラーメンで、ラーメンを食べない日は一日もないらしい。

先日も夕食のあとバーで葉巻を楽しんでいると、突然T社長が「武沢さん、申し訳ないが締めのラーメンをつきあってくれ」と言う。

近所のこぢんまりしたラーメン屋に入ると、店内に客はひとりもいない。カウンターに腰かけ、店の一番人気だという「オイスターつけ麺」を注文する。カウンター越しに初老の主人が話しかけてくる。

「ご覧のとおり景気が悪い。我々庶民が汗水たらしたところで、景気経済は別のところで決まっている。世界を陰で動かしているのは、ユダヤとフリーメーソンで、この先、日本は孤立し没落する一方だろう。それに、富が富を呼ぶ資本主義は問題だらけで、そろそろ制度を変えないといけない」などと、どこかのセミナーで聞いてきたような話を延々とされる。我々は食べる前から少々気が滅入ってしまった。

出てきたラーメンを食べたら、本当に気が滅入った。まずいのだ。

“当店イチオシ”のオイスターつけ麺のつけ汁がぬるくて味が薄い。
おまけに麺は冷や麦のように腰がない。三口ほどすすったところで二人で顔を見合わせ、店を出た。

自分の店の閑古鳥をユダヤのせいにしてはならない。

口の悪いT社長は、「あいつばかやろ、やる気あんのか。情熱不足だ。
まずいラーメンを喰わせるやつに世間の悪口を言う資格はない」と激昂している。

たしかに世の中を支配しているのは特定グループなのではなく、シンプルな原理原則。それは、「すべては自分の責任」という不変の原則だろう。

この店の主人は、日本と世界の経済を動かすことはできなくても、この店の売上げは変えることができる。
そうすれば、主人と社員とその家族の人生も変えることができるし、客の人生だって豊かにできるだろう。

「一隅を照らす、これすなわち国宝なり」と伝教大師・最澄が言うように、経営者は一隅を照らす人であってほしい。国宝であるべきだ。

一隅(いちぐう)を照らす人が100人いれば、100隅になる。万人いれば万隅になり、億人いれば億隅になって日本と世界を覆う。

社会をなげく前に、一隅を照らそう。

その後、T社長と私は別のラーメン屋でリベンジに成功し、我々は満足して帰路についた。
そちらのお店は見事に一隅を照らしておられたのだ。