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評価すべきは継続力

昨日、虎ノ門パストラルでマンダラ手帳の開発者・松村寧雄先生
(クローバ経営研究所)のセミナーが行われた。

仏教の知恵を経営に活かすためのこのセミナーは、松村先生の洒脱な話術が楽しく、それでいて仏教の基礎知識や叡知を学ぶことができるので、私はこの半年間、毎月受講してきた。
そしてこの一年も皆勤するつもりで手帳に予定を書き込んである。
http://www.myhou.co.jp/seminar/index.php

数十名の受講者の中には「がんばれ社長!」読者の方もおられ、休憩のときなど声をかけられることがある。
昨日も、「武沢さん、よくあれだけの原稿を毎日書けますね」と、何人かの方に話しかけられた。

その場は、「そうですか、だってそれが私の仕事ですから」とか、「それくらいしかやってませんから」などと答えるが、自分の気持ちの中では「まだ七年目」というのがホンネだし、ほめられると気恥ずかしいというのが正直な気分。

第一、毎日原稿を書くことができるということだけで、本当に価値があることなのか。問題は中味であり、結果である。
また原稿が作れることは自分の実力として定着したといえるのか、それとも単に一時的に7年ほど出来てきただけのことなのか、定かでない。

吉田松陰さんは「青年の俊才、恃むに足らず」として次のように語っている。

・・・
人が志を立てたという時には、必ず二、三十年くらい実行したのを見届けて、その後、初めてはっきりと信じるべきである。また、認めるべきである。(中略)青年がいくら人並みすぐれた才能をもっているとしても、信頼し、期待するには足りない。誠実なまごころ、これを信頼し、期待するだけである
・・・
(『吉田松陰一日一言』 川口雅昭 編 致知出版社 刊 より)

年下の教え子に対しても「我が良薬なり」と賛辞をおくりつづけた松陰さんだが、それは信頼と期待の表れにすぎない。本当の意味で、人の実力や価値を評価するには、二、三十年の行動を見なければわからないというのだ。

ひるがえって今、人が人を評価する、あるいは、人が会社を評価するとき、その評価スパンが短くなりすぎていないだろうか。

・彼はいつも立派なことを言う
・彼女の会社はとても高収益だ
・あの人のビジョンはスケールが大きい

など、短期的な発言や行動、結果で他人や他社を評価しがちだ。

松陰さんに言わせれば、「がんばれ社長!」が7年続いているくらいは、評価の対象にはならない、となる。
もう三倍くらいやって、初めて認めてあげようということになるだろう。

評価スパンが短くなっているだけでなく、行動したことの結果を求めるスピードもどんどん早くなってきた。
「このやり方では結果がでない」と、短絡的に結果ばかりを追い求め刺激の強い手段を探していないだろうか。

ジム通いにしろ、販売促進にしろ、学習にしろ、人材育成にしろ、結果が出るまでには時間がかかる。それも圧倒的な時間が。

昨日号では「熟す」ということばを紹介したが、本人のなかで熟成するには決意の持続と絶え間ない行動や思索が必要である。

また、「煮てない時間が煮物を作る」という言葉があるように、やっている時間だけでなく、やっていない時間に熟成が進むことだってある。

松陰さんが生きたのは、150年前の江戸時代末期である。今のように変化の早いネット資本主義の日本と世界を見たら、なんと言うだろう。
ひょっとしたら「二、三十年」というくだりを修正するかもしれないが、基本は不変だろう。

続けることに意味があるとは言っても、意地になって続けるのではなく、大切なことは、今もその活動に価値を感じ、同時に、楽しみながら行えているかどうかだと私は思う。

それさえあれば、二、三十年なんてアッという間だ。

吉田松陰一日一言 http://www.amazon.co.jp/dp/4884747658/